息子を支援学級へ通わせる決断 “何を学ぶために学校へ通わせるのか?”を考えた

《リョウコの子育て観》

息子を支援学級へ通わせる決断
“何を学ぶために学校へ通わせるのか?”を考えた

親には子供を学校へ通わせる義務がありますよね
私は2つの理由で子供を学校へ通わせています

 親が働いているので、学校という場所で子供を安全に無料で預けられて、更に社会生活に必要な学びを得られるから

障がいをもつ子どもを育てていると、親の力だけでは子供を育てられません
障がいをもつ子どもと24時間共に生活をすることは、普通の子供よりも何倍もお母さんの精神的負担が重くのしかかります
支援学級の専門の先生に協力して頂いて、集団生活や身辺自立、子供に合った学習を受けさせたい

自閉症を持つ子供を育てているからこそ、大多数の子供が通るべき進路とは違った人生を歩む息子を

〇 本人の持つ能力は何か?
〇 本人が活かせる能力は何か?
〇 より良く生活を送るために必要な知識や能力を身につけさせたい

と、考えて小学校へ入学させました

息子を支援学級へ進路を考える時も、入学させた後も

「何でこんなに進路選択になやまされるのか?そもそも、なんでクラスを分けないといけないの?」

と疑問を持ちました

「ってゆーか、私は子どもをどのように教育したいんだろう」と学校教育について考えるようになりました

考えている中で、子供の進路・将来の生活で見えてきた息子の未来ビジョンと気づきをまとめます

なんでクラスを分けるの?

インクルーシブ教育と言われているし、道徳に力を入れた教育になっているはずなのに、通常学級・支援学級とクラスを分けている事自体 “多様な人がいる” という事を一般の子供達が知ったり経験することができないじゃないか

と、疑問や不満を持ちました

支援学級・支援学校があってもいいんです
「専門の先生のもとで学びたい」「少ない人数のクラスの方が落ち着く」子供もいますから、選択肢があることはいいんです

ただ、“障害があるから通常学級での生活は難しいよね”と決められてしまう事が嫌なんです
子供に障がいをもつ親は、通常学級の中で同じ学習スキルを身につけさせたいのではなくて、同じ空間で生活を共にしたいんです

でも、現状の “支援学級か、支援高校か、通常学級か?” 進路選択肢は
幼稚園・保育所を一緒に過ごした同級生や仲の良いお友達と完全に違った道を歩んで行く我が子の姿を
受けとめないといけないために、親はものすご~~~く悩んできもちが暗くなってしまうんですよね

それなら、クラスを分けない学校システムだったらこんなに悩まずに済むのに
多様な人がいる学校生活が当たり前になったらいいのに…と思うのです

グレーゾーンと呼ばれる発達境界線の子供が通常学級の学校生活で苦労していたり

知的な遅れはないけれど発達障がいの特性部分で集団生活に苦労してる子供たち

不登校の子供達や通級学級を利用したい子供数の多さ

その他にも聴覚や視覚・身体が不自由な人も、地域の学校に支援するクラスや支援する専門家が無いから違う学校へ通ったりしているわけです

私の場合は身近に知的障害・自閉症をもつ人が多いので、その困り感を持つ子供たちの事を中心にこんなことを考えました

「そもそも学校へ何のために通う必要があるんだろうか?
集団で同じ勉強を、同じ年齢の時に受けることがそんなに大切な事なんだろうか?」

「同じ空間で、同じ年齢の子供を同時に、同じような教育を教えていく事自体がもう時代に合っていないんじゃないか?」

学校という組織の中に適応できる子供は全体の約6割と言われています

私が考える学校に適応できる子供たちとは

・集団生活が平気
・集団でも人の指示を聞き取って行動できる
・授業のペースについていける
・決められた時間行動へ気持ちを切り替えられる

これらを苦痛なく自然にできる力のある子供だと思います

高校・大学進学を目標としかしていない【学力評価】中心の学校教育だから、効率よく流れについていける子供は良いけれど
流れにそぐわない約4割もの子供たちが、学校の中で排除されてしまう事に疑問を持ちます

知的障害のある子供の将来を考えた、今できる家庭療育

障がいをもつ子どもを育てていると、一般高校・専門学校・大学進学・一般企業に就職する道は考えません

大まかには

  • 一般企業の障がい者枠に雇用される
  • A型就労施設
  • B型就労施設

の3パターンで考えます

(その他にも過ごし方はありますが、私は福祉の専門家ではありませんので障碍者の就労について詳しくは福祉関係のサイトをご確認下さい)

その枠に入るために、小学生・中学生・高校生の間にはどういったスキルを身につけておく必要があるのか?
を子供の能力や成長に応じて練習します

〇簡単な読み書き計算が必要なのか

〇簡単なコミュニケーション(挨拶・連絡・報告)能力が必要なのか
〇手先の細やかさや、正確に数を数える力なのか
〇一人で外出する力が必要なのか
〇立ち仕事を6~8時間できる体力が必要なのか

を考えながら、国語・算数・理科・社会・書道・音楽・体育・図工・家庭科・・・
この教科をどこまで伸ばすのか?伸ばす必要はあるのか?
必要な科目は?必要な単元は?

親が考える子供への教育と、先生がこのくらいの事を学ばせておくと良いのでは?
というアドバイスを聞きながら学校生活の中で息子は学んでいます

◆関連記事:支援高校への進路に向けてしていること

球体の体積なんて計算できなくてもいいし(生活で使わない)
星座や星の動きなんて知らなくてもいいし(冒険家になりたい人はどうぞ)
世界史も覚えなくてもいいし(ほぼ忘れた)
歌が歌えなくてもいいし(音楽を聴く派でもいい)
縄跳びが飛べなくたって困らないし(大人になったら飛べなくなったよ)
絵が描けなくたっていいんです(趣味は多様)

子供の将来に必要となる能力と
子供が興味関心のある科目を学べば十分生活出来るよねって考えています

企業で就労することがゴールじゃない

私は息子に自立した生活を送って欲しい(一人暮らしをしてほしい、家から出て行って欲しい)気持ちが強くあります

どんな形であれ就労して賃金を得て、一人で生活するという能力を身につけて欲しいと思って、就労へ力を入れている高等支援高校へ入学させたい気持ちを持って小学3年生から家庭療育にも、何かできる事はないかと取り組み始めました

◆関連記事:発達障がいをもつ子供が一人暮らしをしをするために必要なスキル

自分が生活する地域の就労支援施設について講演や説明会を聞きに行ったり、就労に力を入れている特別支援高校卒業後の進路を見て思った事は

“就労先は確かにあるのだけれど、子供が本心からやりたいと思える仕事だろうか?
子供が少しでも楽しめる仕事だろうか?”

“正直、職種のバリエーションが少ない・・・”

そう思いました

知的障害のある人がする仕事は、例えば工場のライン単純作業だったり、パン作り・クッキー作りだったり、飲食店の裏方だったり、商品の陳列だったり

決められた作業を丁寧に行う仕事が多いなと思いました

これらの仕事は、私たちお母さん達がパートとして働いているような作業でもあります

健常者・障がい者に関係なく、好きな仕事をしている人なんてほんの一握りで
生活の為に好きではない仕事をしているのが普通なのだから、障がい者も仕事を選べないのは仕方がないことだし、能力に偏りがあるんだったら取り組ませやすい仕事や、サポートしやすい仕事、簡単・単純な仕事しか残らないのは仕方のないことなのかも・・・・

など、ぼんやり思っていました

ところが、現代はAI技術の発展により、単純作業はロボットが行うようになり、人間の手が必要なくなる社会に変わりつつあります

お母さんがパートとして働く働き口でさえ減ってくる時代に移り変わると、障がい者が働く単純工場作業は、今後激減するんじゃないか?と懸念します

学校で何を身につけさせたいのか?親の軸を持つ

私は3つの軸を持っています

【1 生活リズムを整えるために、毎日学校へ通う】

朝起きて、日中は体を動かして、夜寝る生活
人間として、生活リズムの狂いは体調不良を起こしやすくなるので、明るい日中に活動する習慣をつけさせたいです

【2 世の中には様々な考え方の人がいるから、多くの人と触れ合う事に慣れる】

みんなと仲良くならなくてもいい。色んな人がいるんだという事を知って欲しい
知った中で、自分で自宅で居たい。のように居場所を選ぶのはOK!

【3 子供の時にしか遊べない遊びの経験を積む】

無邪気に遊べるのは子供時代だけだから、今しかできない遊びを経験を積んで欲しい
遊びの中で、楽しさや理不尽さ、人との関りを学べます

この3つが、私の子供たちに対する学校で学んでほしい軸です

学校の成績なんて、気にしません

勉強は一生できます、いつでもできます、一人でできます

学校では学校でしかできないことを学んでほしいんです

得意な事を活かして生活はできないのか?

例えば、息子はブロックを組み立てる事や並べる作業が大好きです

就学前の年齢の頃は、「おもちゃ屋さんのレゴブロックのサンプル品を組み立てる仕事や、シルバニアファミリーの展示品を並べる仕事だったら、めっちゃ適任なのに…」

そう思ったものです

今は『マインクラフト』ゲームのなかでブロックを使って建築をしていて、才能を発揮しています!

スマホの普及により、SNSを使って自分の得意な事を簡単に発表したり、自分の興味関心のある共通した趣味を持つ人と繋がりやすい時代になりました

メディアの発達によって、自分の得意な分野の能力を磨いて発表することで
人から評価を得ることができるし(いいね)
商品だったら購入してくれる人も現れるし
「仲良くなって欲しい」という人も現れて友達を作ることもできるんですよね(フォロー)

それは、「その人の魅力」に、周りは惹かれているんです

未来の働き方・未来の企業が求める人材は、学力が高いとか、計算が早いとか、そういった機械ができる仕事は必要なく、人にしかできない能力を持つ人を人材として求めています

それだったら、障がい者にでもできる事はあるんじゃないかな?

と前向きに考えてみるんです

例えば、動物が大好きで、動物と関わることも、お世話をすることも何の負担も感じないのであれば、ペットのお散歩代行とかできるんじゃないかな?とか

ピアノの演奏や歌を歌う事が好きだったら、例えば子供や老人施設でミニコンサートをして人を楽しませることだってできるよね

サポートさえすれば、障がい者だって個人の能力を活かせるよね

会社で働くだけが人生ではない

自分の特技を利用して人を喜ばせたり、人の力になる事をしていれば、人から評価を受けて、仕事が舞い込んでくる

そんな未来が来る!と私は準備をして待ち構えています

その社会は【評価経済社会】と言われています

以前、障がい児教育の講演を聞きに行った時の講師が、就労先の事例を話して下さいました

個人経営のペットサロンで働いていた障害のある女性は、難しい仕事はできないのだけれど、動物が大好きでお客様のペットを心からかわいがる人でした
その様子はお客様にとって嬉しい関わり方だったそうです

ですが、ペットサロンの経営面で女性には仕事を辞めてもらう事になったそうです

すると、“あの女性がいたからここのペットサロンに来ているのに…” というお客様の声が届いたそうです

そこで、ペットサロン側は彼女をもう一度採用したそうです

これこそまさに、“あなたがいるお店に行って、あなたのサービスを受けたい” というお客様からの評価を受けているわけですね

《会社・起業から人へ》 のサービスから 《人からひとへ》 のサービスになる未来がやってきます
っていうか、今既にきています(インフルエンサーと呼ばれる人たちのことです)

障がいがあるからできる仕事が限られている

のではなく、

個人の能力を生かした働き方なら障がいも健常も関係ない

そんな未来がやってくると期待してます

そのためには、親の私たちも「今どきの若い人は…」「時代についていけない」「なんか怪しい」「分からない」と遠ざけるのではなく、時代の波に乗ることが大事だよねって考えています

◆ 関連記事 ⇒ 自閉症の息子を支援学級へ通わせる中で、学校教育について考えて気づいたこと
⇒ 自閉症の息子が支援学級へ就学したことで学校教育制度について知った事実


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