自閉症の息子を支援学級へ通わせる中で、学校教育について考えて気づいたこと

自閉症の子供を支援学級へ通わせる中で学校教育について考えて気づいたこと

知的障害を伴った自閉症を持つ息子を支援学級へ通わせている中で、息子の今後の進路・将来の就労・自立生活をするために、どのように育てようか?
息子自身はどのように成長していくんだろう?と考えながら、1年ずつ成長を見守っています

そんな息子の進路を考えていると、学校教育の在り方について考えるようになりました

 

小学校へ入学すると、お母さんたちの悩みの種は

【学力】一色です

 

私はそれに対してすごく違和感を持っています

私自身、勉強するよりもマンガを読んでいたかったし、マンガを描いていたかった学生だったから・・・というのも理由の一つなのすが

“勉強だけをさせることが良いことなのか?成績を上げる事だけが学生生活で大切な事なのか?”

“成績の良い高校へ行く事に何の意味があるのか?何を学びたくて大学へ行くのか?という目的をもつ方が大事なんじゃないか?”

“どんな仕事をしたいのか?どんな大人になりたいのか?という夢や目標があってこそ、自分は何を学ぶべきかを考えるものじゃないのかな?”

“そもそも、学力だけが人を評価するものじゃないのに・・・”

 

って考えているんですね

 

でもお母さん達の話題は、我が子の勉強が遅れないようにすることやテストで良い点数を取る事、成績順位を上げる事

更に、同級生の中で秀でた存在になったら嬉しい

更に更に、人に優しく、気配りができて欲しいとか、スポーツで活躍して欲しいとか、何かの賞を取ったら嬉しいとか、学級委員をするような “できる人間” “注目される人” になったら嬉しいな

そんな子供への想いを持っています

その話を聞いていると、私のココロはモヤモヤざわざわしてくるんです(=_=)

親は未来の働き方の流れを知っておかないとヤバイ

子供の価値は学校の成績だけだなんて、つまらなさ過ぎる!

学力が低くても、気配りがすごく上手だったらそれだけで仕事の中でできる役割はあるし
歌が好きだったら歌う事を追及して、人を楽しませる仕事だってできるし
幅広く見たら、いくらでも個人の持ち味を生かして楽しく人生を送ることができるはずなのに…

 

親の価値観が
“学力を伸ばしていい高校へ行って、いい大学へ行って、いい会社へ入れば子供は生活に困らないはずだ”
のように、私たちが親からそう教わってきて、実際に歩んできた考え方のままで変わっていないんですね

 

IT技術が進む現代では、私たち40代でさえ、スキルのない人はリストラの対象になるし、自分が定年するまでの何十年もの間、会社じたいが存続するのかすら分からないこのご時世

会社の生存年数は平均7年というデータもあります

でも親は、《会社へ就職すれば安泰》という意識がまだあります

 

 

でも、それもそのはず…

私たちが受けてきた教育制度が明治維新後に学校教育が始まってから、教育システムが全く変わっていないからなんです

だから、今の教育が当たり前だと思っていて、「おかしい」とは知ることすらできません

 

私は小さいながらも個人経営者をすることで、ビジネス書を読むようになりました

自分でネットを使って発信をする側になって、インターネット業界の凄さと共に恐ろしさ、テクノロジーのスピード、情報の波におぼれないように乗ること、ネットは分からない・ネットは怖いと言っていられない時代に変わっていることを実感しました

情報弱者にならないようにかなり必死です(+_+)

 

ただの40歳のお母ちゃんだった私がビジネスについて学んだり考える中で、今の学校教育を子供が受けることで、将来の就職にどれほど役に立つのか?と、考えるようになりました

学校教育(義務教育)の歴史

学校教育について、乙武洋匡さんの本「子どもたちの未来を考えてみた」PHP出版の49ページにこのような記述があります

乙武さんは民主党政権時代に文部科学副大臣を務めておられた鈴木寛氏との対談を記していました

「戦後の日本は工業立国を目指していましたから、教育システムもそれに準じたものになりました。

つまり、大量生産の為にマニュアルを暗記し、ベルトコンベアの前で正確かつ高速な作業ができる人材が必要とされていた。

高度成長期においては暗記力と再現欲が求められていたのです。

ところが、そうした正確さとスピードを求められる作業はデジタル・テクノロジーの発展により、現在は人間の仕事ではなくなりつつあります。

これからの時代に求められるのは、手本を正確に真似られる人材ではなく、0から1を生み出せる人材です。

しかし、現在の大人の大半は、工業立国を目指していた時代の教育こそが正しいと思い込んでしまっている。

ここに大きな問題があるのです」

これと同じようなことを

  • 堀江貴文さん
  • 研究者の落合洋一さん
  • 絵本作家のキングコング西野さん
  • 社会評論家の岡田斗司夫さん

彼らは、様々なメディアや本の中で言っています

彼らのような世界展開で働く知識人・経営者が、日本の教育に足りないものや、今からの時代の働き方や必要な人材とは、こういう人なんだよと言っている言葉に耳を傾けると

私のようなただの主婦も、納得するところが多く、学校では学べないことは家庭で補うしかないと実感したし

息子が小学校へ入学した時には
「不登校にだけはならないでほしい。ちゃんと学校で学んでほしい」と痛切に願っていたのに
今となっては
「たとえ子供が学校へ行かなくなったって心配することはなに一つない
好きな事をとことん追及して専門家になるくらいやり込めばいいんだ」
とさえ思うようになりました

 

だから、私は息子がゲームが大好きなら「とことん追求しなさい」という目で見守っています

◆ 関連記事 ➡ 自閉症の息子が支援学級へ就学したことで学校教育制度について知った事実

じゃあ学校へ子供を通わせることに意味はないのか?学校はダメなのか?どうしようもできないじゃないか

いえいえ、そうではありません

学校教育へ何を求めるのか親の軸を持つ

・親が子供に何を求めて学校へ通わせるのか?
・子どもがどんなことを身につけるために・どんなことを学んでくるよう学校へ通わせるのか?

軸を持っておくことが大事なんじゃないかと考えています

 

“子供のことは学校へ全てまるなげ”

ではなく、親は子供へどういう道を示したいのかを考えるべきだと思うんです

 

私は
1 学校の成績だけで子供を評価しない
2 多くの人・他人と触れることで自分と違った価値感があることを知る
3 自分はどう考える?どうしたい?という意見を持ったり考える

この3つを大切にしています

私たち親は、工業社会の中で働いています

日中は学校という所で子供を預かっていてもらわないと、安全面(留守番)や食事面(昼食)で困りますし
子供に教育を教えられるほどの多様な知識を私は持っていません(マンガや絵の話なら語れますが、それ以外はできません)

 

現代は「やりたいことがない、やりたいことが見つからない」という若者が多く居るようです

私にしたら、自分が若いころは、やってみたいことが多すぎて
時間とお金が足りなくてもどかしい思いをしてきました

なのに、時間もお金もある若者が「なにもない」だなんて、なんでだ~~~!!
と思っちゃうお母ちゃんなので、自分の子供にはそのようになって欲しくありません

自分の子供にはどんなことでも、「それ、なあに?」と興味を持ったり
「1度やってみたい!」と楽しめる感性を持ってほしいと思っています

 

今の学校教育の中で生活に必要な知識を得ながら、子供自身がどういう人生を歩みたいのかを自分で考えられる大人に育てようと思って子育てしています

◆ 関連記事:息子を支援学級へ通わせる決断 “何を学ぶために学校へ通わせるのか?”を考えた

子どもの人生は子どものモノ

私から見ると、定型発達の子供たちは、じゅ~~~~ぶん!何でもできる子供たちです

五体満足で健康に毎日の生活を送って、普通に物事を理解して育っているだけで、十分親の期待に応えているよね~

って思っているのですが、普通の子供のみを育てている親だったら、“どうしたってできないことがある子” の気持ちを理解することはムリだよね

だから、いいとか悪いとか、そう考える事じたいを、私はしないようにしています

本当の意味で相手の気持ちなんて理解できるものではないと思っています

 

今の私はこう考えています

 “子供へいくら親の期待をよせたところで
子供の人生は子どものモノだから”

 

 

親の言うように動かない事だってあるし、親の思うように育たないこともあるだろうし、私だって自分自身を振り返れば、好き勝手して大人になって今まで生活してきました

「漫画家になりたい!」と言って、親に莫大な美術大学の学費を払ってもらってもプロの漫画家として成功する人生を歩むことはできなかった・・・

 

いくら子供に「こうなって欲しい」と道を印したり期待したって、結局は子どもがどういう行動をとるのか?なんです

子どもの意思を尊重して、認めたり話し合うこと、一人の意思を持った人間だと思って関わる子育てをしています

 


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