子供の療育手帳取得する親の気持ち

子供の障がい診断が出た後に 【療育手帳】を取得するかどうか

という悩みが出てきますよね

私が息子の療育手帳を取得した手続きの流れと、取得した時の気持ちと

療育手帳を取得しようと考えている保護者へのアドバイスを記事にします

 

療育手帳って何?

そもそも、《療育手帳》について具体的に分かりやすく書いているサイトをご覧ください

    http://ryouikutecho.com/seido-hantei/

 

申請手続き

私がしてきた 申請手続きについて以下に書きますが、

市町村で違いがあると思いますので地域施設に問合せてくださいね

ざっくり、「そんなものなのか~」と知って頂ければと思います

 

申請や手続きの流れ 

① 我が家の場合は ⇒ 市の 障害福祉課 へ申請書を記入しに行きました

② 数日後に 《県立子供家庭センター》 から封書で通知が来ました(当時)

来所する日程を指定した用紙が入っていますので

指定日に子供と一緒に行きます

(都合が悪い場合は連絡を入れて調整します)

 ③ 指定日に県立子供家庭センターで子供の発達検査を行い

その結果を元に、療育手帳を発行する値かどうかを担当者が判断します

 ④ 手帳が完成まで約一か月待ちます

⑤ 市役所から「手帳完成」の連絡が入り、受け取りに行きました

 

⑥ その後、3年ごとの更新となりますので、療育手帳の期限が来る前に再び通知が自宅に届きます
(運転免許証の更新と同じような感じです)

 

療育手帳取得を決めた親の気持ち

長男が知的障害を伴う自閉症スペクトラムと診断が出たのが2才4か月の頃

 

その後、療育通園生活が始まりました

通園施設との懇談の時に「療育手帳はお持ちですか?」という確認の問いがあり

その手帳の存在を知らなかった私は「??ありません。それは何ですか?」

と問うと “障がい者手帳です” という事だったので。。。

まだ息子が障がい者であることを受け入れていなかったし

絶対に必要な手続きなら自動的に役所から連絡が来るものと思っていました

 

療育手帳は、親が申請に行かないと発行してもらえません!!

 

私は息子の療育が始まった後に

市の 『発達支援センター』へ子育てについて相談に通っていたので、

そこで療育手帳について詳しく聞きました

 

その後、息子のの成長を見て

日に日に子供の成長速度のゆっくりさを受け入れるようになり

療育手帳を取得する気持ちに変わっていきました

“療育手帳を取得して、受けられるだけの必要な支援を受けて

子供の為にしてあげられることを増やしてあげよう”

そういう夫婦の意見で 療育手帳を取得する流れになりました

 

療育手帳のメリットは?

手帳を取得すると、あらゆる福祉制度を利用することができます

お住いの市町村によって利用できる制度内容は違ってきますので、それぞれに調べてくださいね

私の住まいでは、療育手帳とセットで「制度の一覧表」冊子を頂きました

 

我が家が主に使った制度は下の4つです

  • 公共施設等駐車料金の割引
  • 各種施設の割引(公共施設やテーマパーク等)
  • 自動車税の割引
  • 特別児童扶養手当

 

公共施設等駐車料金の割引

車でお出かけすることは常にあるので助かります

 

各種施設の割引

動物園や水族館、各種テーマパークなど

本児とと介助者1名の割引がある所が多くあります

これは本当にありがたかったです

 

なぜかと言うと

例えば、子供を楽しませたいと動物園に行きます

動物園へ入園と同時に子供がパニックになって、その場にいられなくなって帰宅する羽目になって

家族でどんより悲しい気持ちになることがあったりします

 

また、せっかく楽しもうとテーマパークへ行ったのに、人込みを嫌がったり、怖がったり、

そもそもテーマパークに入場してくれなかったり、、、そのものをを楽しめない事も多いからです

 

「今日、何しに出掛けに来たんだろう」

 

そんな気持になることが多いのです

 

割引制度があると、

「今回は楽しめなかったけれど、経験を繰り返せば次は楽しめるかもしれない、又来てみよう」

そう気持ちの余裕ができます

 

また、子供に知的な遅れがあると、1度の社会経験では学ぶ事が難しくても

同じ経験を何度も積み重ねることで理解できるようになってきます

割引制度があると、同じ場所でも何度通っても料金的なストレスがありません

自閉症の息子も、動物園を動物園として楽しめたのは6歳の時でした

 

自動車税の割引

こどもの療育への送迎や病院への送迎など移動手段に欠かせない車

その税金が割り引かれるのは助かります

 

特別児童扶養手当

《特別児童扶養扶養手当》 について 厚生労働省のページ

https://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/jidou/huyou.html

 

息子の療育手帳取得となり、手帳を受け取りに行った時に

“特別児童扶養手当”の申請を出すことが出来ました

これは、“こども手当” とは別に支給される特別手当です

 

① 役所で書類申請をします

② 後日、自宅に医者に記入してもらわないといけない 書類 等が届きます

(この時に、子供の状態を知ってくれている主治医がいると、手続きがスムーズです)

③ 医師に記入して頂いた書類を役所に提出

④ 判定の結果支給対象となった場合に、厚生労働省より支給されます(口座振り込み)

 

子供の障がい診断が出たばかりの頃は、療育施設選びに走り回っていたり

“児童発達支援受給者証取得” の手続きが先だったり。。。

 

普段の生活で大変な為に、診断が出た時には

子供に発達専門の主治医がいない方、もしくは探している最中の方も多く

特別児童手当の申請用紙をどこで書いてもらえばいいか?

医者探しが大変だったというお話を療育園時代のお母さん達と話しました

 

“特別児童扶養手当”の書類は、かかりつけ小児科だからといって
書いてもらえる訳ではないんです!!

 

発達関連の小児科で書いていただくのが通常なのですが、専門小児科は予約がいっぱい!!

初診は〇か月待ち…という所が当たり前です

“特別児童手当” の額は大きく、最初は金額をみて驚いたものです

そんなにもらってもいいの? 療育手帳を持ってるだけで助かる制度は沢山あるし、

児童発達支援施設の利用料金だって、9割以上の金額を市や国が代わりに払ってくれている

「障がい児がサービスを受けるのって、お金がかかるのね」と、驚いているのに…

 

正直、自分の子供が “障がい者” だからお金をもらえる・免除がある

という事に抵抗がありました

 

身体障碍者手帳を持っているお母さんは

「生命保険に加入できないから、頂いたお金は貯金しているよ」

という意見を聞きました

 

なんかそれは納得できるのです

 

でも、私の息子の場合は、身体的にはいたって健康です

 

このお金どうしたら有効的か?

最初は迷いましたが、子供が成長してくると、かかる費用が増えます

 

本来ならトイレトレーニングが終わっている年齢でもオムツが必要だったり

水や泥が大好きで、食べ方もへたくそで洋服を汚すことも多いしその期間も長いです

モノを壊してしまうことだってある

外出して、「何でこんなものに興味があるんだ?」と、必要ないものを買わないといけない羽目に

なることだって多い

外出して普通に楽しめない事も多い

空想力の乏しい息子には “実体験” “現地現場を見る” という経験をたくさん積ませる必要がある事

 

何より、お母さんは息子が成長するにつれて労力が増すばかりだし

働きに出たいのに出られない、その労働料金とパート代よね

とも考えるようになりました

 

今では、支援の必要な子供に必要な分だけ支給さる制度のものだから

子供の必要なものの購入や経験値の為に、ありがたく使わせてもらおう

という気持ちで受け取っています

 

療育手帳のデメリット

感じた事はありません。

 

療育手帳は 提示しなければ ないのと同じです

自閉症スペクトラム の見た目では分からない障がいと同じ存在

 

手帳を持っているからデメリットなのではなくて

学校のクラスを“支援学級”と“通常学級”に分けている事の方がデメリットだと考えます

クラス分けをすることで、子供を 障がい者 という目で周りにさらしてしまっていまね

 

話がそれてしまいましたが…(^-^;

 

あえてデメリットを言うなら、

手帳を申請するときと取得する時の親の気持ちはものすごく重いものです

“ああ、うちの子は障がい者なんだ。 障がい者であることを社会的に証明しちゃうのね。”

そんな気持でした

 

ただ、療育手帳は、親・本人が必要ないと思えばいつでも返すことが出来ます

また、子供の成長と共に発達検査の判定結果が良くなって、手帳と一生のお付き合いにならない人もいます

 

息子の場合は経度にはなれども、療育手帳が必要なくなるときは来ないでしょう

でも今となっては、息子の手帳はタンスの奥に眠っていて、使う事はほとんどありません

(支援学級やデイサービスでの校外学習で、持ってきてくださいという事が時々あるくらいです)

私も普段は手帳の存在を忘れています

出かけた先で、「手帳があったら割引制度があったんだ~、持ってきてないや~」そんなことが多いですね

 

手帳を持っているデメリットの例で、友人の例を挙げると

子供が小学校中学年になり、漢字を読めるようになったので自分の療育手帳を見て

「僕は障がい者?」 って疑問を持ち始めている

という話を聞きました

 

知能が比較的経度で、子供が成長してくると、手帳の存在に疑問を持ち始めるのですね

それが何を意味するのかを分かる子供の場合は説明してあげる時期も来るのですね

その時に、デメリットとなるかもしれないし、更に有効活用出来るようになるかもしれないですね

まとめ

子供の療育手帳は、保護者がそれを必要とするかどうか判断して取得するものなので

必要なければ持たなくてもいいです。

子供が支援学級に在籍するご家庭でも療育手帳を持っていない方もいらっしゃいますし

 

子供の進学先が “支援学校” を選択する時には療育手帳が必須になりますから、

その入学前には取得する必要性がありますね

 

ただ、自閉症スペクトラム障害は、見た目には障がい児と分かりませんから

療育手帳を使わない限り、誰かに知られることはありませんし、我が子は我が子のまま。

手帳が “ある・ない” には、生活上何の支障もありません

 


~ アトリエいろかさね主宰 リョウコのプロフィール ~

主宰者 : 片山良子 1978年生まれ

長男:小学5年生・支援学級在籍(自閉症スペクトラム)
長女:小学3年生
次男:4歳・保育所(グレーゾーン)

3児の子育てと教室運営を両立しながら
自宅で出来る仕事を始めたアラフォーお母さんです

◇ 京都精華大学美術学部デザイン学科マンガ専攻 2001年卒

◇ 大学4年生時“京都アートスクール”にてアルバイトを1年間経験する

◇ 大学生から社会人時代に 個展・グループイラスト展を3度開催

◇ 大学生から社会人時代にマンガを投稿した作品 約20作

◇ 出版社へ持ち込み経験 『集英社』『講談社』『小学館』『白泉社』『角川書店』

◇ 2007年 地域施設で1年間小学生対象にアート教室のボランティア活動をする

◇ 2015年 ポーセラーツインストラクター資格取得

 

~ マンガ大好きマンガ漬けだった良子のお話 ~

【小学生時代】

5歳くらいの頃から マンガや アニメが大好きでした

古い記憶にあるアニメのタイトルは
「ララベル」「ミンキーモモ」「ときめきトゥナイト」

小学校時代の休み時間には絵を描く事が多い女の子
小学生時代は、毎日必ず夕方やゴールデンタイムにはアニメが放送されていて、ほぼすべて見ていました

一番最初に大好きになったマンガは 『ときめきトゥナイト』
その影響でマンガ雑誌 『リボン』を愛読

小学2年生の頃に、『風の谷のナウシカ』が公開され
その映画を見て衝撃を受けました

当時の私には内容が難しい部分が沢山あったけれど
ナウシカの世界観やキャラクターの魅力に魅せられて
マンガが更に好きスイッチが入りました

カギっ子だった私は
お小遣いを貯めて、漫画本を買って読んだり
一人で絵を描いて過ごしたり

夏休みの午前中に放送されていた「夏休みこども映画大会」
があったことで、暇な時間を過ごすことができていました

当時は、家庭にビデオデッキがまだ普及する前。

夕方にもアニメを放送していることが多く
習い事を週1回しかしていなかった私にとって
親がいない放課後時間や学校長期休暇中は
テレビやマンガ本を通して
マンガの道へはまっていく小学生時代を過ごしました

小学生時代に、すごく好きで読んでいたマンガの本は
「らんま1/2」
「ときめきトゥナイト」
「ハンサムな彼女」
「姫ちゃんのリボン」
「ねこねこファンタジー」

当時のリボンに掲載されていたマンガが中心です

 

小学6年生の頃に

“漫画家さんみたいに、絵が上手になりたい
どうやったら様々なイラストが描けるんだろう?”

キャラクターの名前を考えてみたり、設定を考えることを始めました

“マンガって、どうやって描くのかな?”

そう疑問を持ちながら、絵を落書きで済まさずに
身近な色鉛筆で完成させたイラストを描く事を始めました

また、「風の谷のナウシカ」の原作漫画がある事を知り
読むと、世界観の深さと絵の美しさに魅了されて
私の中の “か弱い女の子の恋愛世界少女漫画時代” が終わり
“強く戦う、立ち向かう女性の世界感少女漫画” が好きになっていきました

【 中学生時代 】

中学校時代は、バレーボール部に所属していました

「美術部ちゃうんかい」と、言われるのですが、
美術部では油彩やコンテ画など、マンガの絵を描けなかったので論外でした

勉強に興味がなく、授業中は
「家に帰ったらどんなイラストを描こうかな~」
というイメージを膨らませている 妄想女子 でした

自宅に帰宅すると直ぐに机に向かいイラストを描く
生活を送っていました

だから、学校の成績は中の下(=_=)

    

夜遅い時間まで私の部屋の明かりがついていることを塾帰りの友人が気が付き
「勉強しているの?」と聞かれ
「…マンガ読んでる(^-^;」と、答えていました

絵が好きだったので、描いた絵を友達に見せていました

すると、それを快く思わなかった同級生に

“絵が上手い事を自慢している”と
陰口を言われ、プチいじめ を受けたことをきっかけに
自分がマンガを描いていることや得意な事を話すことをやめました

 

でも、 将来は絶対漫画家になる!!

と熱い気持ちがあったので、学校では自分が絵を描いていることをを隠して
学校以外の時間はマンガ一色の学生生活を送っていました

 

中学1年生の頃に 「美少女戦士セーラームーン」が始まり
めっちゃ見ていました
小学生対象のマンガだったので、同級生に話すと陰口を言われることを恐れて
「セーラームーン大好き」とは話していません

漫画家:CLAMP作品と出会い、私の求めていた世界観に刺さり
大ファンに(*^-^*) 絵の影響を受けまくりました
CLAMP作品の追っかけも始まりました

 

 

【 高校時代 】

高校受験も終わり、学校以外の時間は再びマンガ漬けの学生でした

部活は ソフトテニス部。

高校には「文芸部」という、マンガや小説の部活があったのですが
中学時代に自分がマンガを好きであることを隠してきたことや
またいじめられたら… という気持ちと
マンガは家でも描けるから、家でできない事をしたいと思っていて
運動部に入っていました
(今でも時々楽しむスポーツです)

 

中学2年生の頃に
「マンガの描き方」という基礎の本と出会い、
本を見ながら独自でマンガ技法を練習を始めていました

本を見ながら、独自でマンガ技法を練習しながら
高校生の頃にはマンガの画材を集めたくて
お小遣を駆使して
つけペンやスクリーントーン、カラーインクを集めていました
画材って効果なんですよね(^-^;

カラーインク1色500円
スクリーントーン1枚300円

1色では絵が描けないのでせめて5色は集めたいけど…
スクリーントーンの種類もバリエーションが欲しいし…
でも、新刊コミックが今月は5冊も販売されるし…

お小遣いを、自分のお洒落やおやつに使う事はほとんどなくて
マンガ関連や、アニメグッズにつぎ込んでいました

 

ストーリーを考えることも始めたけれど、
1作を「終わり」につなげるまでの難しさを知りました

イラストを仕上げる事と、マンガを1作描き上げる事は
やるべき絵の技術内容が全く違います

ただ、可愛いキャラクターを描けばいいわけじゃない

学園物のストーリーを描こうとしても
「学校の校舎ってどういう形をしていたっけ?」
「階段って描くの難しな」
「何気ない街中の風景を描くって大変!」

漫画家さんって、絵が万能ですごい!
話を考えるって、すごい!
人にインパクトを与えるコマ割りって難しい!!

そんな、描き手目線でマンガの本を読むように変わり
ストーリーのあるマンガを描き始め
出版社へ作品を投稿するようになりました

↑始めて投稿した漫画の表紙
角川書店 『ASUKA』に投稿しました
評価はBクラス。

 

絵が上手くなりたい気持ちから
京都精華大学 美術学部デザイン学科(当時のマンガ専攻)へ大学進学先を決めました

私はもともと、“絵はどこでも描けるから
大学は管理栄養士資格を取得できるところへ進学しよう”
と高校時代を過ごしていたのだけれど

「でも、本当にしたい事って、それなの?ちがうよね」

と言う気持ちが強くなり、高校3年生から美術大学へ向けた勉強を始めました

 

小さいころからず~~~っと独自でマンガイラストを描いてきたけれど、
本格的に絵を習い始めたのは高校3年生

4年生の美大受験を目指すには遅すぎるスタートでした

デッサンの予備校へ行くと、みんなは中学生から美術部だったとか、高校1年生の時からデッサンを習っている人ばかり
私のように、マンガマンガしていない人…

デッサンは全然面白くなかったけれど、大学へ行くために努力するしかない

デッサンばかりで、マンガイラストが描く時間がなくて辛い…
そんな受験生でした

入試までたった半年しかない間に、どれだけ技術を伸ばすことができるのか…
スタートが遅すぎた私は

第一志望である京都精華大学の推薦入試には
《色彩構成》の課題と《意気込みの作文》のみ
デッサンが課題になかったので、推薦入試にかけました

今まで、イラストを描き続けてきて色を使う事が好きだったことが実を結んだのか
推薦入試で無事、合格!

私も両親も 奇跡!! と泣いて喜びました

 

【 美術大学時代 】

大学へ入学してからが苦労しました

同級生は、美大へ向けてデッサンを何年も描いてきた基礎ができている人ばかり

私は、その基礎経験が足りていない状態で
大学では、劣等生でした(>_<)

小さいころから学校では “絵の上手い人” だった私が
美術大学では “フツーレベルの人” になってしまったんです

衝撃と悔しさと痛烈な劣等感…

 

劣等生ではあったけど、でも入学した物勝ちです

「這い上がるしかない!」

絵の上手い同級生の良い刺激を沢山受けながら大学では
恋愛そっちのけで絵を描きまくり
人物デッサンの基礎力を付けました

 

バイトでお金を貯めて東京の出版社へ持ち込みに行ける年齢になり
何度か足を運びました
これまでに投稿・持ち込みをしてきた出版社は
集英社・小学館・講談社・角川書店・白泉社……

私にとって 東京は旅行でも観光でもなく 東京=出版社 です

 

大学には、マンガ好きな人も多いし
マンガを投稿している人も他にいたし
マンガ好きな事を話しても“オタク”と言われないから隠さなくてもいいし
作画技術のマニアックな話や
画材の使い方のマニアックな話ができる友人が多くいました

自分の好きな事を追求できる大学生時代は
好きな作家さんの原画展やサイン会などのイベントへ行ったり
自衛隊に興味もあったので、大学生向けの体験ツアーなる物へ参加したり(*‘∀‘)

 

自分のやりたいことを思うままにしてきた
人生の中で幸せな大学4年間を過ごしました

 

ご縁があり
アートスクール予備校のアルバイトを1年間経験

思い返せばこの頃に、人に教える事をしていた私です

自分の所属している大学の専門科に入学したい受験生の担当をさせて頂いたので
生徒達の必死の思いを過去の受験生時代の自分に重ねて
生徒達に合格して欲しくて、真剣に絵のアドバイスをしました

 

【 社会人→出産→育児 】

大学卒業後は、契約社員として普通に事務員をしながら
自宅ではマンガを描いて投稿する生活を、相変わらず続けていました

自分の漫画以外にも漫画アシスタントを経験してみたり

イラストレーションのグループ展を3度開催しました

第一子を妊娠中の1年間は、地域施設で小学生に絵を教える教室があり
その先生のお手伝いをするボランティア活動をしていました

    

 

そんな社会人時代でしたが漫画家デビューすることは出来ず
結婚・出産のため、
自由に絵を描く生活から離れてしまいました

自分が絵を描かない日が来るなんて考えもしなかった事です

 

自分の子供を育てる中で
「マンガが好きな子供たちや
絵の好きな子供たちに絵を教える教室が出来たらいいのにな」
漠然とそう考えるようになっていました

 

第二子を出産し
子育てのしんどさやイライラがつのる日々が続きました

子供と一緒にお絵かきをしたり、
アンパンマンなどテレビで楽しめる生活を描いていたのに
なぜそれが出来ないのだろう…

 

なんだか変…
長男の発達に違和感を感じていた結果

自閉症スペクトラム であると
診断が出た事によって私の生活は更に一変しました

療育子育てに専念する生活に変わり
“今は自分の自由を捨てる時期だ”

と、自分に言い聞かせて療育子育てをしていましたが

不安で寂しい気持ちと
私が頑張らないで誰が何とかしてくれるの?

そんなプレッシャーで毎日を過ごしていました

 

 

【 アート教室を始めるに至るまで 】

“絵画教室で子供たちに絵を教えたい”

教室を始める前はそんな 私主体 の夢を持っていました

 

息子を通して療育先の子供たちと触れる貴重な経験を重ねる中で

“言葉で自分の気持ちを伝えることが難しい子でも
色や形で自分の気持ちを表現することで気持ちを伝えることが出来る!
絵は言葉がない人でも気持ちを伝えるツールになる!
困り感のある子供たちが自己表現できる場所を作れたらいいのに”

という気持ちが芽生えました

 

息子の障がいが分かってから
普通では出会う事の無かった人たちと出会い
沢山の方から支援を受け
これまで関わることのなかった未知の世界を知ることが出来ました

それは、自分をものすごく成長させてくれる
素晴らしい経験をすることができ
息子を授かって良かったと思えるようになりました

 

息子も小学生になり、子育てがスムーズに進みだした頃

『私に出来る事はないか? 私に出来る事で行動して生きたい』

そう考えるようになりました

 

絵画教室を通して、障がいのある人も、定型の人も
当たり前に同じ空間で、同じ趣味を共有し、お互いに尊重しあえる
そんなバリアのない空間を作りたい

そんな強い想いが大きくなり
自宅で 『アトリエいろかさね』を始めることに決めました

 

今は おうち教室 という小さな空間ですが
私にできることを一つ一つ積み重ねて
長男の子育てで沢山支援を受けて助けられた恩を
アトリエに来室する生徒様を通してお返ししていきたい
という想いで運営しています