障がい児と健常児の子育て~きょうだい間の良い影響~
子供に障害があると、「他のきょうだいに障害がないか?」「子どもをもう一人い欲しいけど、次の子供にも障害があったらどうしよう…」そんな不安を持ちますよね
療育園のママ友達とも障害のある子供の下の子供について、話をしたものです
私には 小6(自閉症スペクトラム)・小4(定型発達)・4歳(発達グレーゾーン)の3人の子供がいます
ネットで障がい児の事を検索すると、どうしてもネガティブな内容が出てくることが多いのですが、私は「障害のある子供を育てることは苦労することや辛いことはあるけど、それだけじゃなくて得られることや成長させられることも沢山あるんだよ」という事をお母さん達に伝えたいという気持ちを持っています
この記事では、「きょうだいがいて良かったよ」というきょうだい間の関りをまとめています
きょうだい児も障がいがないか?という不安を持つよね
発達障がいの子供を持つと、「きょうだいにも障害があるんじゃないか?その確率は高いよ」 なんて噂を聞いて不安になりますよね
数字的な証明がある訳でもないし、遺伝だって決まったわけでもない
100%という確率でもないのに、不安になりました
私の自閉症の息子には、1才7か月差の妹がいます
学年は2学年差 の兄妹
息子が自閉症と診断が出た時、娘にも障害がないか?と娘の成長発達の様子をよく見ていました
娘の育児は長男の時とは明らかに違っていて
・親へアイコンタクトがある
・指差しをする
・後追いがある
・何となく親の言わんとすることを理解している
・母子手帳の成長記録に「はい」に丸をつけられる
1才6か月検診の時にも、課題を普通にこなせたので、娘に対する不安はなくなりました
自閉症スペクトラムの息子と2学年下の娘の子育ては、どうしても娘に対しては手薄になる事が多かった子育てでした
息子と娘と2人の子育ては、子育てについても経験が浅いし、障がい児への関わり方も分からない毎日を過ごしていたので体力的にも精神的にも大変でした
食事のお世話を二人同時にしないといけないし、トイレトレーニングも二人同時だし、公園へ連れて行ったら二人それぞれ別方向へ遊びに走り出したら大変
「双子を育てている感覚だね」と、療育園で出会ったママ友達に話すと、みんな口をそろえて「そうだよね~」と共感し合えるところでした
上の二人から間が5年開いて、3人目の子供が生まれました
3人目の子供を授かった時、 “障がいをもっていたらどうしよう” という不安は全くありませんでした
それは、長男の子育てを通して、障がい児の子育ては福祉関係のどういう手続きをしたらいいのかや、どういう関わり方をしたらいいのか分かっていて、自分に自信がついていたからです
それに、末っ子君を授かるまでの間に、様々な障害のある子供たちやそのお母さん達と出会って
「生きていることそのものが幸せなことなんだ」という事に気づいたからです
“障がいをもっていたらどうしよう”という不安よりも、どんな風に家族間の雰囲気が変わるかな?とか
長男にとって自分が兄としていられる存在ができるって良い影響があるんじゃないかな?って
新しい家族が増えることで発生するメリットの方が沢山ある事を想像していました
実際に末っ子君の成長は、長男の時のような困り感は無く成長していったものの、どうやら同級生の中で生活をしているとコトバの理解や言葉を発する力が弱いな~…という不安から発達検査の結果、確信に変わりました
発達検査の結果、言葉の領域だけが数値が低く、超グレーゾーン君という事が分かりました
もし長男に障害がなく、末っ子君の子育てで初めて発達障がいに関わることになったら私はめちゃくちゃ成長に不安を覚えたはずです
でも、末っ子君の育児では全く困ることがなかったし、数値だけで見たら長男の方が障害度合いが高いので、末っ子君の“グレーゾーン”という結果を聞いたときには
同級生の中で育つ学校生活中は、難しいことがあるかもしれない
でも、社会人になれば、様々な年齢の人や多くの人の中に入れば問題はなくなる
と、判断しました
だから、末っ子君自身が集団生活の中で “辛いな” と思わなくていいように、週1日だけ療育を受けています
娘が0~1才児の頃は兄の生活リズム中心の日々
娘が9か月の時に兄の自閉症診断が出て、療育園通いがはじまり、毎日園へ送迎するリズムに娘も付き合わせる事になりました
私は娘の子育てよりも、兄が療育園へ行っている間に “発達障がい” について本を読む時間をとったり、発達支援センターへ相談へ通ったり、買い物を済ませたりすることの方に必死になっていました
当時通っていた療育園は午前保育のみ
8:45に送る→帰宅して娘に離乳食→11:45お迎え あっという間の療育時間です
娘と二人の時間をすごすよりも、息子のいない間に普段できないことを済ませる毎日でした
療育が終わった午後の時間は、自宅のおもちゃで上手く遊べない息子を連れて散歩や地域の子育てルームへ行く毎日
娘に対しては、自宅でゆっくり寝かせられなくてごめんねという気持ちを持っていたけど、《障がい》と診断がでた息子への “何とかしてあげないといけない” という成長発達の不安と責任感で頭はいっぱいでした
息子が療育園へ通い始めて、“息子はどこまで成長するんだろうか” という不安の真っただ中
すくすく普通に育つ娘の姿を見ていると
「普通の子供って、こんなにゴソゴソ動いて遊ぶの?そんなことがもうできるようになるの?ママの真似っこするし!すごい!!」という事ばかりで、反応の薄い息子とは対照的な娘の行動に感動しつつ、息子の0才児時代を振り返っては「息子は娘のような行動全くしていなかったよね…自閉症の兆しは0才児の時からあったんだ…」なんて過去を振り返って娘の成長発達と息子の様子を比べていました
娘が0~1才の幼い間は、TVやおもちゃに子守を任せている間に、兄への関り時間をもつようにしたり、外出先ではまだ帰りたくないとごねる兄に、「もう少し待ってね」と娘も付き合ってもらいました
兄と妹が一緒にできる遊びを通して家庭療育兼親子遊び
息子の家庭療育には “おままごと遊び” が有効でした
その理由は
・生活と直結している内容だから、息子にとって身近なものでイメージしやすい
・トマト・きゅうり・コップ・お皿など固有名詞の単語練習ができる
・ひとつ・ふたつなど数の練習ができる
・「いただきます」「パンを取ってください」など人との関わりや、やり取り練習ができる
2学年差の兄妹間だったので、遊ぶ内容レベルもちょうど良いバランスでした
ただ、私は子どもとおままごと遊びやお人形遊びやブロック遊びや読み聞かせ…お母さんが子供と一緒にする類の遊びが超苦手だったんですよね(~_~;)
でも、息子の為だと思ってぎこちなく「いただきま~す」っておいしく食べる食べマネ演技をして遊びました
子供と一緒にやり取り遊びをする時間が苦痛で苦痛でたまらない…
おままごとしている時間に、マンガ読みたいよ…って思っていたお母ちゃんです
内心はイヤイヤながらも子供たちと関わるうちに、“子供たちはやり取り遊びを通してこんなに多くの情報を学ぶんだ”という事を知りました
普通の子供の子育てをしていたら、子供が自然と言葉ややり取りを覚えることは当たり前の光景で、何気なく過ぎて行くことでも、障害のある子供を通して遊ぶと、“トマト”をトマトだと覚えるまでにも時間がかかるし、「ちょうだい」と相手に言われたときに「ちょうだい」の言葉の意味を覚えてもらう事や、何を「ちょうだい」と言っているのか関連性を理解しないとできない事なんですね
“おままごと”という一見普通の遊びの中でも、複雑な事を脳が処理をしているんだという事がよく分かりました
子供の療育や成長には、遊びを通して物事を覚えさせる経験が重要
という事が分かってからの私は、ぎこちないながらも子供と関わって必死に遊びました
その、苦手ながらも子供たちと遊んだ経験が、末っ子君の子育てのときにはごく自然におままごと遊びや電車遊びができるようになりました
おお、私も成長したな~と自画自賛しています
その他にも、兄は妹を通して遊び方を覚えることが沢山ありました
《鬼ごっこ》
息子は同級生と鬼ごっこをすると、ルールがよく分からない息子には上手く仲に入れなかったんです
でも、妹のお友達の中に入ってルールのゆる~~い鬼ごっこをすることはちょうどよいレベルで楽しむことができたんです
妹たちと鬼ごっこをすることで、何となくタッチをされたら負けなんだなというルールの理解が身について、同級生とする鬼ごっこにも少しずつ参加できるようになって、お友達が息子に合わせて適度なルールで鬼ごっこをしてくれることもありました
《砂場遊び》
砂場遊びはルールがなく、それぞれに黙々と形を作って遊べます
砂場遊びが得意な息子は、大きな穴を掘ったり、大きな山を作ったり何やら地形を作ったり石を並べたり棒で飾っているだけで「すごい!」と称賛を受けてお兄ちゃんらしさを見せられました
《かるた》《すごろく》
息子の成長と共に、娘も成長もついて来ます
息子が幼稚園から《かるた》や《すごろく》を持ち帰ってくると娘の方が興味津々で遊びたがります
勝負に負けることが悔しすぎる息子は、“勝ちたい”一心で妹に対して闘志を燃やして、かるたやすごろく、トランプのババ抜きやジグソーパズルのルールを覚えて遊びました
これらのゲームは療育でも取り組んでいたので、何となくゲームの流れを理解していきました
同級生のスピードや理解にかなわない事も、息子と娘なら同じレベルで遊べました
妹が負けてばかりでは妹が嫌な気持ちになるので、そこは私が負け役を買います
兄と妹の発達が逆転
=兄はできない子。ではないことを娘に伝える=
娘の年齢が4歳を過ぎると、生活能力や人とのコミュニケーション能力が兄の成長を追い越すことが増えました
すると、“どうもお兄ちゃんこれもあれもできないよね” “なんか様子が変になる時があるよね” “なんか、うずくまって泣いていて動かなく時があるよね”と、他人と比べて何かが違う事を理解するようになりました
例えば息子がパニックになってうずくまっている時、私が焦って兄に対応している姿を娘に見せるのは良くないので、「お兄ちゃんはちょっと今一人になりたい時だから、そっと放っておくといいよ。そのうち落ち着くからね」と、冷静に娘へ説明しました
例えば、息子が自分で思っていた予定外の事が起こってカンシャクが収まらないでいる時には、「何でそんなどうでもいいことでお兄ちゃんは切れているんだ?????」と疑問の眼差しで兄を見る娘に「ちょっとお兄ちゃんを落ち着かせるために話をするから、こっちで遊んで待っているといいよ、大丈夫やから」と娘にも説明してから息子へ対応していました
ムキーーーとなっている兄へ私がおろおろ対応していたら娘は不安になるよね。
と私は思っていたので、内心は「兄をどうしたもんか…(~_~;)」と思っていても毅然とした態度で兄と関わるようにしていました
私自身も、息子に対して「何でこんなことも分からないんだ…娘は1度伝えたらできるに…」と心の中で思う事はめちゃくちゃ多くあります
でも、それを口に出してしまったら兄の自尊心も傷つくし、娘に「お兄ちゃんはこんなこともできないんや」と言わせてはイケナイ!
「今お兄ちゃんは練習中だから、教えてあげようね。できるようになるからね」と娘に説明してきました
そんな兄の姿や兄に関わる親の姿を見ている娘は、幼稚園の中で困っている子供のお手伝いを率先してするタイプの女子に育ってゆき、娘の担任の先生からはいつも「よく気が付くお子様で、お手伝いを自分からしてくれます」と褒めて頂きました
兄が支援学級へ入学
兄が小学校の支援学級へ入学することで、幼稚園の娘へ“いじめ・偏見”の影響は特にありませんでした
小学校と幼稚園の接点がないからですね
ただ、娘は小学校への興味があります
どんなところなのか?
どんな勉強が始まったのか?
教科書はどんな物なのか?
兄の持ち物も気になるし、兄へ質問することもあります
支援学級で使用する教科書は、子供の能力に合った教科書や絵本を使って学習することがあるんですね
だから、教科書を購入する時期に入ると学年通りの教科書を購入するのか、子供の能力に合った本を購入するのか選択できるんです
娘は兄が持って帰ってくる教科書に興味を持って眺めていたので、学年通りの教科書やドリル類を兄が使う事はないかもしれないけれど、学校からもらうようにしていました
「お兄ちゃんは〇年生になったから、教科書をもらって帰って来たよ」と兄を尊重するようにしてきました
また、兄が学校から持ち帰ってくる宿題にも娘は興味津々です
私が兄の宿題に付き合っている時には娘にも市販のワークをさせていました
通常小学1年生の国語は、物語を読み、ひらがな・カタカナ・漢字の学習へと進みますが、息子はひらがな・カタカナ・数字を覚える事・文字を書く事・身近な単語(語彙)を覚える事を中心に練習していました
娘にとってはあっという間に課題をクリアできてしまう宿題内容だったのですが、娘は本来の1年生がどんな授業をしているのかは知らないので、適当にはぐらかしながら、「お兄ちゃんはこんなことを習ってきたんだね~」と話すようにしました
娘が小学生に
娘が小学校へ入学した時に一番心配した事は “娘が偏見の目で見られないか?” という不安
周りの友達達にどのように見られるのか?でした
この点は幸いにも問題なく過ぎて行きました
その理由は
・個別で登下校する小学校
・兄は自主的に登下校していた
・娘は早く登校したい。息子は時間ギリギリに登校したい生活リズムの違い
この3つから、周りの子供たちが娘の兄が支援学級であることを知るきっかけがありませんでした
それに、学校の児童数が1000人を越えるマンモス小学校ということもあって、自分の学年の友達の名前を覚えるだけでも大変な子供たちは、娘の兄がどうか?なんて小学1年生の子供にとって関心外のことです
私は、娘の担任へ「兄が支援学級へ在籍しているので、その事で誰かから何か言われるそぶりがあるようなら、学校で子供たちに話をして下さい。」とだけ伝えていました
娘に対しては、「お兄ちゃんのことで人から嫌だなと思うようなことを言われたら教えてね」と伝えていました
ですが、息子の1年生時代の事を振り返っても、小学1・2年生の子供たちは、支援学級の存在すら知らない子供もいるし、支援学級がどんな学級なのかよく分からない子供たちも多く、親が考えすぎるほどの“偏見”の目は感じませんでした
学年が上がるとともに、支援学級の事を理解する
娘が1学年進級する度に、兄の事について娘と話をするようにしてきました
「支援学級について不思議に思う事はある?」
「こういう子供たちが勉強している所だよ。」
「分からない事とか、疑問に思う事があったら、いつでもお母さんに質問してね」
と、娘に伝えています
娘の反応は、小学1年生の時には 「べつに~」と、なんとも思っていませんでした
1年生はそんなものですね
小学2年生の時にも「べつに~」でした
ただ、学校でお兄ちゃんと会うことが恥ずかしいな~
と、普通のきょうだい間のむずかゆい恥ずかしさをもつようになりました
小学3年生の時には、自分のクラスに交流として支援学級の生徒が居たことや、兄の宿題内容を見て支援学級の存在やそのクラスに在籍する人はどういう人なのかをより明確に認識するようになりました
小学3年の夏に “兄が支援学級に在籍する理由” と “支援学級に在籍する子供たちはどんなことがあって在籍しているのか” を話すと「お母さん、もう分かってるよ」と、耳だこの返事が返ってきました
娘は兄が支援学級だからといって、自分の学校生活の中で不便や嫌な事がある訳ではないし、娘には娘の友達関係が出来上がっているので、もう2つ上の兄の世界とは別世界のように、特に気にならない存在になっています
息子は、日常生活を過ごす中ではいたって普通の生活を送れるように成長しているので、普段の生活の中では【自閉症】の特性が目立つことはありません
口下手なところや言葉で自分の意思を伝えることが難しいことや、勉強の理解が難しいという困り感は、日常生活の中では目に見えないからです
間があいた第三子の誕生で、親も子供の扱いが変わる
長男と娘の子育てのときには、「障害がある長男はどう成長するんだろう…」
娘に対しても「申し訳ない」という暗い気持ちで過ごしていたけれど
3番目の子供の時には 「上に2人いるから忙しいのは仕方ないよね。上の子のリズムに付き合ってね」と、末っ子君には何の申し訳ないという気持ちもなく上の二人の生活リズムに合わせた子育てをしていました
末っ子君が生まれた時、長男は小学1年生。娘は幼稚園。
私は毎日息子と一緒に学校へ登校していたし、娘の幼稚園の送迎も毎日あったし、療育への送迎もあります
末っ子君は家に寝かせていられる時は一人家に置いていたけど、生後2か月になったらどこへ行くにも連れて出回っていました
娘が0才児の時には、娘のペースで育ててあげられないことにものすごく罪悪感を感じていたのに、末っ子君の時は「末だから仕方ないよね」って何の罪悪感もなかったんですよね
これって、娘へ罪悪感を感じていたんじゃなくて、“障がい”と診断がついたことによってすべてのことが不幸に思えてしまっていたんだと思い返しました
障がい診断が出たから、自分が望まない療育通いが始まったし、理想としていた子育てとは違った子育てをすることになったし、思い描いていた親子像が築けないこと、未来が見えない不安
それらに娘を巻き込んでしまう罪悪感だったんだろうなって振り返ります
長男は自分の弟にお兄さんらしい対応をすることはありませんが、それは“お兄さんらしい対応ってどういうこと”か知らないからできないだけなんですよね
自閉症だから、“お兄さんらしい対応”を想像できません
私もわざわざ、お兄さんらしいってこういう事だよって教えるのもメンドクサイです
だから私は“お兄さんらしさ”を長男に強要しようとは思わなくて、例えば外出する時に「手をつないであげて」のように、してほしい行動を具体的に伝える程度にしています
数年後、末っ子君が小学生になった時に「宿題が分からない所を教えてあげてね」とか「サッカーの相手をしてあげてね」のように、具体的にどういう事をしてほしいのかを伝えて息子ができそうなことをしてくれたらそれでいいと考えています
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