『療育なんかいらない』に共感!子供の成長と共に与えたいものは変化する

自閉症スペクトラム持つ息子の子育てをしていて
現在11歳になった息子は
日常生活に支障なく毎日を過ごせるようになりました

 

現在も療育施設(放課後デイサービス)を利用していますが、
息子が幼かった頃のような
“子供には絶対に通ってもらわないと生活や成長に困る”
ということもなくなった今、デイサービスに求めていることは

  • 興味の範囲の狭い息子に家庭では出来ない体験をさせてもらえる場所
  • 人との関わりの場所
  • 学校では足りていない事を補える場所
  • 学校でも自宅でもない、子供自身が素で居られる居場所

というように、私の考えが変わりました

 

そこで出会ったこの本!

 

今の私が子供の療育子育てを通して思ってきたことや
今後欲しいサービスがドンピシャ一致していました!!

私の療育子育て体験を盛り込みつつ
この本の紹介を記事にしています

「療育なんかいらない」

=著者の紹介====

佐藤典雅
息子さんの自閉症診断後、アメリカ・ロスアンゼルスに転居し
9年間の療育体験を得て帰国
発達障がいの子供をサポートする『株式会社アイム』設立し、
放課後デイサービスを運営する

==========

日本国内・外でマーケティングやプロデュースをするプロとして
日々楽しく活躍していらっしゃる発信を見ます

発言している内容は、日本人には少ない発想なんだけど
めちゃくちゃ面白い人だという人柄が伝わり
私はすぐに佐藤さんの人柄が好きになりました

集団に囚われなくていい、固定観念に囚われなくていい
人は皆それぞれだ!

という思考の元書かれた内容ですが、私もそう思っている一人の母です(*^-^*)

 

私自身、お教室業を始めてからビジネスの世界に入った事もあり
他人の意見に左右されず、自分はどうなりたいのか
どういう事を生徒さんとして行きたいのかを考えてきました

人と同じことをしていても評価されないし
自分で考えて意見を持つことは大切です

そういう思考をもっていると、
子供にハンディキャップがあったとしても
ハンディキャップをハンデと受け取らずに
ハンデを生かして何かできないか?
と、ポジティブ思考を持つことができました

多様性を受け止めることが当たり前という思考の人が、
日本に増えるともっと生きやすく、楽しい社会になるのにな…と思います

『いちばんの差別』は、身内から

自閉症を始め、障がいを持って生まれた我が子の事を

『かわいそうな子』

と思っている事じたいが、差別をしている発想

 

私は、子供の診断が出た時に
子供が “かわいそう” ではなく、

『私、かわいそうな母親だわ』

そう思っていました。。。

 

『なんで、こんな大変な子育てをしないといけないんやろう』

って、自分で自分をかわいそうな人、悲劇な母親 にしていました

 

息子が小学年生の時、療育先で久しぶりに出会った
息子と同期で療育園へ行っていた子供から

「なかよし学級に居るんだね。かわいそうだね」

と言われたことで、私は「かわいそうな子」なんかじゃない!!
と、気づくことができたのですが

困っている・うまくできなくて苦労している ≠ かわいそう

この勘違いを知る必要があると考えています

★関連記事 → 親が「かわいそう」な子供にしていない?

自閉症は、親にとってもっとも受け入れがたい障がい?

療育園で出会ったお母さん達と、「いつ子供の障害が分かったの?」と、
我が子が療育へ通い始めるまでの経緯を話すことはあるあるです

・1才・3歳健診で指摘された
・違和感があり、保健師へ相談していて“発達検査”を受ける流れになった

 

子供の発達の段階で、どこかで指摘をされたり、親が疑問を持つことで
子供の障害が分かったお母さんが100%でした
(受け入れられない人は、療育園には来ていないのでしょう)

 

子供を育てていて

「うちの子なんか変?!それとも子供ってこんなもの?!」

と、疑問を持ちながらモヤモヤを抱えて、日々過ごします

でも、子供が3歳になると、
言葉を話さないという疑問だけではなく
同じ年齢の子供と明らかに行動が違うくない?
親の手がやたらかかるよね?
でも、数字を読むことができたり
絵本が好きだったり、積み木遊びやミニカー遊びが上手だったり
普通の子供よりできる事もあるし……

 

ママがもっと子供と関わったら出来ないことも出来るようになるんじゃないかな?
ちょっとゆっくりさんなだけで、そのうち追いつくんじゃないか?

そう考えてしまう事もあります

 

見た目には “障がい” と分からない

これが、私たち障がいのない人間からすると
最も理解しがたい原因ですね(~_~;)

我が子の子育てと成長にずっとモヤモヤしていて
障がいの診断が出た時に私が一番に頭に浮かんだ事はショックよりも

「だから育てにくかったんや」

と、妙に納得したものです

 

ゲームやスマホは害じゃない

子供にゲームを与える年齢はいつにしようか?

これは、子供の障がいに関わらず、ママが悩む事です

私も悩みました。。。が、

「ゲームにこだわりができて手放せなくなったらどうしよう
ゲーム・スマホ中毒になったらどうしよう」

「でも、本人が興味を持ち始めたのなら
普通の小学生男子はみんなゲームを楽しんでいるのに
そのフツーの事をさせてあげないのは親の勝手だよね」

結局のところ、ゲームをどう子供に使わせるのかを家庭で決める事

親もゲームやスマホを勉強する事が大切だという結論に至りました

 

★関連記事 → 「子供にゲームをさせて5年。メリットの方が多いアイテムだ」

 

子供のアカデミックレベルは生まれつき決まっているのでは?

著者の息子さん、がっちゃんは 4歳からアメリカロスアンゼルスで療育を9年間受けてきたと
本には書かれてあります

自閉症療育は、日本よりも断然進んでいる国ですし
多民族国家ですから、障がいにも寛容な人に囲まれた生活をしてきたんだろうなと
私は想像して本を読んでいました

ところが、著者が言うには
アメリカで9年間療育を受けてきたけれど
アメリカほど療育を受けてきていない
日本の自閉症の子供たちも
中学生になるとあまり差がないというのです

 

私は子供が自閉症スペクトラムと診断が出て
関連の本を読みあさり、テレビでは特番が放送されるとチェックて自閉症児を始め、障碍者の暮らす環境を知り

「アメリカは制度が整っていていいな」

とずっと羨ましく思っていました

発達障がいだと告白した栗原類君の本にも
アメリカでの療育について書いてありましたし

アメリカでは障がいと診断のでた家庭の子供の教育には
学校や地域一体となった支援が手厚く整っているという事

これを知って

「日本は福祉が遅れているよね
だって、制度はあるけれど、親が調べないと受けられない支援ばかり
子供が障がいと診断されたら、親はショックと落ち込みで動けなくなるのに。
何をどうすればいいのか分からないけどとにかく役所へ相談して、
“福祉” “障がい” と名の付く部署へ足を運んで
各種手続きをする行動を取って始めて療育に行きつく
それは、どれだけ精神的にしんどい事か…」

ずっとそう思っていました

 

そして、息子には小学1年生の間くらいは通常学級に在籍させられないかと言う気持ちで
療育施設へ送迎を頑張って来ましたよ

さんざん療育を頑張って来て、支援学級に入学した1年生の夏休み
担任との懇談で
「これまで療育で培ってきたストックが追いついてしまいました」

でした(;^_^A

一生懸命、同級生について行けるようにと療育を通して息子に学ばせてきたけれど
定型発達の子供たちの発達スピードに追い付く事は出来ませんでした

そこを、息子に無理やりさせたところで本人は嫌がりますし
嫌がる事をさせても身につくわけがない

そもそも、学校で勉強するのは私ではなく息子だから

そのように私の考え方を変えて、息子のペースで学習を取り組む学校生活を送っています

 

いつまでも、足し算ができないわけではない
いつまでも九九が覚えられない訳ではない

自閉症の特性として、与えられた課題は真面目にこなしてくれるので
人より何度も何度も、飽きるほど同じ計算を繰り返して
問題を解く力がついています

本人の力量・本人のペースというものがあるんだと、
息子を見ていて実感しています

 

人生100年時代

小学1年生で覚えるべき課題を1年生の間に覚える必要なんてない
例えば10歳になったときに小学1年生の学習をマスターできたらいいやん

私だって40歳の今でも、知らない事は沢山あるから調べる事をする

何歳になっても勉強はできる!

★関連記事 → 「学生時代に学校で習う学習がすべてではない」

 

普通に生きる事を選んでいない魂

『親自身が既成観念の呪縛から出る必要がある。』

私もそう思う!!

親が子供に対して “皆と同じに出来るようになって欲しい”
という考えを捨てられなければ精神的にしんどい毎日を過ごすことになる

人と違ってていい
うちの子らしく楽しく毎日を過ごせるならそれでいい

 

そう、気持ちを切り替えられると楽になりますし
子供の突拍子もない発言にも笑って過ごせます

★ 関連記事 →『みんなちがってみんないい』を受け止める

 

療育を言わなくなる親たち

佐藤さん曰く、子供が成長するとともに
自閉症という性格をもった子供自身を変える事はできない
気付く親が増えるそうです

私もその一人です

 

私の息子も日常生活おおくることに困難がなくなりました

次は息子が社会に出て行って自立できるようにと療育をしているのですが、
そもそも自閉症の特性の部分は治る物ではないし
苦手なものは苦手なんです

それなら、そのままの息子でいいよと認めてくれる場所が欲しいんです

それは、子供が中学、高校となる頃には精神面で同級生と同じ会話に入れなくなるだろうから。

今も、同級生と居る事の困難さを子供自身が少ぉ~し、気づき始めているからです

 

どうしても、同級生より幼さがある息子

困り感のある子供たち一人一人を尊重し合える仲間がいて
お互い必要以上に干渉しなくてもよい、
気を使わなくてもいい
人の集まっている場所

自宅でも学校でもない居場所が子供に必要になるだろうと
親は考えて求めています

 

そして、私の教室 「アトリエいろかさね」
将来的にはそのような居場所にしたい目標があります

主婦の悩みには期限がない

ママの悩みは尽きません

私自身も悩みは出てきますが、
悩んでいても仕方がないので、改善できるように考えたり行動するようにしています

でも、それができないママも多く存在します

本の著者は、こうアドバイスしています

  1. 悩みに期限を決める
  2. 何に悩むのかを具体的に決める
  3. 雰囲気だけで動かない

その、悩み解決のために、話し合える存在が必要ですよね


だ・か・ら!

ママが子育ての話をしながらポーセラーツレッスンをして
ストレス発散と楽しいを両立してくれたら嬉しいな♡

と考え、療育子育ての話を共感できる私がママの為のポーセラーツ教室をしています

障がい児を持つママの悩みは誰にでも話せる子育て話ではないので
私がその聞き役を務めます(*^-^*)

発達障がいの子育てで一番大切な事!!

それはズバリ お母さんの子離れ!!

人より不器用な子供だし、できない事の方が目立つけれど
親が年齢的に動けなくなる前に、子供が一つでも出来る事が増えているようにしようよ!

子供から離れて自立させる勇気を持とうよ!

★ 関連記事 → 自閉症を持つ我が子から学んだこと

 

最後に。 自閉症児の就労について

著者は一般企業でマーケティングの仕事をしてきたことから、
会社が利益を上げる事に対して知識がありますし
働く人が稼ぐことが当たり前の思考をもっています

著者が福祉業界に入って感じたことは
“福祉業界で働く人の多くは、資本主義の競争社会とは無縁な世界に生きている”
と感じたそうです

【自閉症と就労支援】というテーマを深く考えておられ、事業展開していく事でしょう

運営側がサポートすることで障がい者も稼ぐ力をつける事ができる!

そんな活動の第一人者になるような著者の未来を期待している私です


~ アトリエいろかさね主宰 リョウコのプロフィール ~

主宰者 : 片山良子 1978年生まれ

長男:小学5年生・支援学級在籍(自閉症スペクトラム)
長女:小学3年生
次男:4歳・保育所(グレーゾーン)

3児の子育てと教室運営を両立しながら
自宅で出来る仕事を始めたアラフォーお母さんです

◇ 京都精華大学美術学部デザイン学科マンガ専攻 2001年卒

◇ 大学4年生時“京都アートスクール”にてアルバイトを1年間経験する

◇ 大学生から社会人時代に 個展・グループイラスト展を3度開催

◇ 大学生から社会人時代にマンガを投稿した作品 約20作

◇ 出版社へ持ち込み経験 『集英社』『講談社』『小学館』『白泉社』『角川書店』

◇ 2007年 地域施設で1年間小学生対象にアート教室のボランティア活動をする

◇ 2015年 ポーセラーツインストラクター資格取得

 

~ マンガ大好きマンガ漬けだった良子のお話 ~

【小学生時代】

5歳くらいの頃から マンガや アニメが大好きでした

古い記憶にあるアニメのタイトルは
「ララベル」「ミンキーモモ」「ときめきトゥナイト」

小学校時代の休み時間には絵を描く事が多い女の子
小学生時代は、毎日必ず夕方やゴールデンタイムにはアニメが放送されていて、ほぼすべて見ていました

一番最初に大好きになったマンガは 『ときめきトゥナイト』
その影響でマンガ雑誌 『リボン』を愛読

小学2年生の頃に、『風の谷のナウシカ』が公開され
その映画を見て衝撃を受けました

当時の私には内容が難しい部分が沢山あったけれど
ナウシカの世界観やキャラクターの魅力に魅せられて
マンガが更に好きスイッチが入りました

カギっ子だった私は
お小遣いを貯めて、漫画本を買って読んだり
一人で絵を描いて過ごしたり

夏休みの午前中に放送されていた「夏休みこども映画大会」
があったことで、暇な時間を過ごすことができていました

当時は、家庭にビデオデッキがまだ普及する前。

夕方にもアニメを放送していることが多く
習い事を週1回しかしていなかった私にとって
親がいない放課後時間や学校長期休暇中は
テレビやマンガ本を通して
マンガの道へはまっていく小学生時代を過ごしました

小学生時代に、すごく好きで読んでいたマンガの本は
「らんま1/2」
「ときめきトゥナイト」
「ハンサムな彼女」
「姫ちゃんのリボン」
「ねこねこファンタジー」

当時のリボンに掲載されていたマンガが中心です

 

小学6年生の頃に

“漫画家さんみたいに、絵が上手になりたい
どうやったら様々なイラストが描けるんだろう?”

キャラクターの名前を考えてみたり、設定を考えることを始めました

“マンガって、どうやって描くのかな?”

そう疑問を持ちながら、絵を落書きで済まさずに
身近な色鉛筆で完成させたイラストを描く事を始めました

また、「風の谷のナウシカ」の原作漫画がある事を知り
読むと、世界観の深さと絵の美しさに魅了されて
私の中の “か弱い女の子の恋愛世界少女漫画時代” が終わり
“強く戦う、立ち向かう女性の世界感少女漫画” が好きになっていきました

【 中学生時代 】

中学校時代は、バレーボール部に所属していました

「美術部ちゃうんかい」と、言われるのですが、
美術部では油彩やコンテ画など、マンガの絵を描けなかったので論外でした

勉強に興味がなく、授業中は
「家に帰ったらどんなイラストを描こうかな~」
というイメージを膨らませている 妄想女子 でした

自宅に帰宅すると直ぐに机に向かいイラストを描く
生活を送っていました

だから、学校の成績は中の下(=_=)

    

夜遅い時間まで私の部屋の明かりがついていることを塾帰りの友人が気が付き
「勉強しているの?」と聞かれ
「…マンガ読んでる(^-^;」と、答えていました

絵が好きだったので、描いた絵を友達に見せていました

すると、それを快く思わなかった同級生に

“絵が上手い事を自慢している”と
陰口を言われ、プチいじめ を受けたことをきっかけに
自分がマンガを描いていることや得意な事を話すことをやめました

 

でも、 将来は絶対漫画家になる!!

と熱い気持ちがあったので、学校では自分が絵を描いていることをを隠して
学校以外の時間はマンガ一色の学生生活を送っていました

 

中学1年生の頃に 「美少女戦士セーラームーン」が始まり
めっちゃ見ていました
小学生対象のマンガだったので、同級生に話すと陰口を言われることを恐れて
「セーラームーン大好き」とは話していません

漫画家:CLAMP作品と出会い、私の求めていた世界観に刺さり
大ファンに(*^-^*) 絵の影響を受けまくりました
CLAMP作品の追っかけも始まりました

 

 

【 高校時代 】

高校受験も終わり、学校以外の時間は再びマンガ漬けの学生でした

部活は ソフトテニス部。

高校には「文芸部」という、マンガや小説の部活があったのですが
中学時代に自分がマンガを好きであることを隠してきたことや
またいじめられたら… という気持ちと
マンガは家でも描けるから、家でできない事をしたいと思っていて
運動部に入っていました
(今でも時々楽しむスポーツです)

 

中学2年生の頃に
「マンガの描き方」という基礎の本と出会い、
本を見ながら独自でマンガ技法を練習を始めていました

本を見ながら、独自でマンガ技法を練習しながら
高校生の頃にはマンガの画材を集めたくて
お小遣を駆使して
つけペンやスクリーントーン、カラーインクを集めていました
画材って効果なんですよね(^-^;

カラーインク1色500円
スクリーントーン1枚300円

1色では絵が描けないのでせめて5色は集めたいけど…
スクリーントーンの種類もバリエーションが欲しいし…
でも、新刊コミックが今月は5冊も販売されるし…

お小遣いを、自分のお洒落やおやつに使う事はほとんどなくて
マンガ関連や、アニメグッズにつぎ込んでいました

 

ストーリーを考えることも始めたけれど、
1作を「終わり」につなげるまでの難しさを知りました

イラストを仕上げる事と、マンガを1作描き上げる事は
やるべき絵の技術内容が全く違います

ただ、可愛いキャラクターを描けばいいわけじゃない

学園物のストーリーを描こうとしても
「学校の校舎ってどういう形をしていたっけ?」
「階段って描くの難しな」
「何気ない街中の風景を描くって大変!」

漫画家さんって、絵が万能ですごい!
話を考えるって、すごい!
人にインパクトを与えるコマ割りって難しい!!

そんな、描き手目線でマンガの本を読むように変わり
ストーリーのあるマンガを描き始め
出版社へ作品を投稿するようになりました

↑始めて投稿した漫画の表紙
角川書店 『ASUKA』に投稿しました
評価はBクラス。

 

絵が上手くなりたい気持ちから
京都精華大学 美術学部デザイン学科(当時のマンガ専攻)へ大学進学先を決めました

私はもともと、“絵はどこでも描けるから
大学は管理栄養士資格を取得できるところへ進学しよう”
と高校時代を過ごしていたのだけれど

「でも、本当にしたい事って、それなの?ちがうよね」

と言う気持ちが強くなり、高校3年生から美術大学へ向けた勉強を始めました

 

小さいころからず~~~っと独自でマンガイラストを描いてきたけれど、
本格的に絵を習い始めたのは高校3年生

4年生の美大受験を目指すには遅すぎるスタートでした

デッサンの予備校へ行くと、みんなは中学生から美術部だったとか、高校1年生の時からデッサンを習っている人ばかり
私のように、マンガマンガしていない人…

デッサンは全然面白くなかったけれど、大学へ行くために努力するしかない

デッサンばかりで、マンガイラストが描く時間がなくて辛い…
そんな受験生でした

入試までたった半年しかない間に、どれだけ技術を伸ばすことができるのか…
スタートが遅すぎた私は

第一志望である京都精華大学の推薦入試には
《色彩構成》の課題と《意気込みの作文》のみ
デッサンが課題になかったので、推薦入試にかけました

今まで、イラストを描き続けてきて色を使う事が好きだったことが実を結んだのか
推薦入試で無事、合格!

私も両親も 奇跡!! と泣いて喜びました

 

【 美術大学時代 】

大学へ入学してからが苦労しました

同級生は、美大へ向けてデッサンを何年も描いてきた基礎ができている人ばかり

私は、その基礎経験が足りていない状態で
大学では、劣等生でした(>_<)

小さいころから学校では “絵の上手い人” だった私が
美術大学では “フツーレベルの人” になってしまったんです

衝撃と悔しさと痛烈な劣等感…

 

劣等生ではあったけど、でも入学した物勝ちです

「這い上がるしかない!」

絵の上手い同級生の良い刺激を沢山受けながら大学では
恋愛そっちのけで絵を描きまくり
人物デッサンの基礎力を付けました

 

バイトでお金を貯めて東京の出版社へ持ち込みに行ける年齢になり
何度か足を運びました
これまでに投稿・持ち込みをしてきた出版社は
集英社・小学館・講談社・角川書店・白泉社……

私にとって 東京は旅行でも観光でもなく 東京=出版社 です

 

大学には、マンガ好きな人も多いし
マンガを投稿している人も他にいたし
マンガ好きな事を話しても“オタク”と言われないから隠さなくてもいいし
作画技術のマニアックな話や
画材の使い方のマニアックな話ができる友人が多くいました

自分の好きな事を追求できる大学生時代は
好きな作家さんの原画展やサイン会などのイベントへ行ったり
自衛隊に興味もあったので、大学生向けの体験ツアーなる物へ参加したり(*‘∀‘)

 

自分のやりたいことを思うままにしてきた
人生の中で幸せな大学4年間を過ごしました

 

ご縁があり
アートスクール予備校のアルバイトを1年間経験

思い返せばこの頃に、人に教える事をしていた私です

自分の所属している大学の専門科に入学したい受験生の担当をさせて頂いたので
生徒達の必死の思いを過去の受験生時代の自分に重ねて
生徒達に合格して欲しくて、真剣に絵のアドバイスをしました

 

【 社会人→出産→育児 】

大学卒業後は、契約社員として普通に事務員をしながら
自宅ではマンガを描いて投稿する生活を、相変わらず続けていました

自分の漫画以外にも漫画アシスタントを経験してみたり

イラストレーションのグループ展を3度開催しました

第一子を妊娠中の1年間は、地域施設で小学生に絵を教える教室があり
その先生のお手伝いをするボランティア活動をしていました

    

 

そんな社会人時代でしたが漫画家デビューすることは出来ず
結婚・出産のため、
自由に絵を描く生活から離れてしまいました

自分が絵を描かない日が来るなんて考えもしなかった事です

 

自分の子供を育てる中で
「マンガが好きな子供たちや
絵の好きな子供たちに絵を教える教室が出来たらいいのにな」
漠然とそう考えるようになっていました

 

第二子を出産し
子育てのしんどさやイライラがつのる日々が続きました

子供と一緒にお絵かきをしたり、
アンパンマンなどテレビで楽しめる生活を描いていたのに
なぜそれが出来ないのだろう…

 

なんだか変…
長男の発達に違和感を感じていた結果

自閉症スペクトラム であると
診断が出た事によって私の生活は更に一変しました

療育子育てに専念する生活に変わり
“今は自分の自由を捨てる時期だ”

と、自分に言い聞かせて療育子育てをしていましたが

不安で寂しい気持ちと
私が頑張らないで誰が何とかしてくれるの?

そんなプレッシャーで毎日を過ごしていました

 

 

【 アート教室を始めるに至るまで 】

“絵画教室で子供たちに絵を教えたい”

教室を始める前はそんな 私主体 の夢を持っていました

 

息子を通して療育先の子供たちと触れる貴重な経験を重ねる中で

“言葉で自分の気持ちを伝えることが難しい子でも
色や形で自分の気持ちを表現することで気持ちを伝えることが出来る!
絵は言葉がない人でも気持ちを伝えるツールになる!
困り感のある子供たちが自己表現できる場所を作れたらいいのに”

という気持ちが芽生えました

 

息子の障がいが分かってから
普通では出会う事の無かった人たちと出会い
沢山の方から支援を受け
これまで関わることのなかった未知の世界を知ることが出来ました

それは、自分をものすごく成長させてくれる
素晴らしい経験をすることができ
息子を授かって良かったと思えるようになりました

 

息子も小学生になり、子育てがスムーズに進みだした頃

『私に出来る事はないか? 私に出来る事で行動して生きたい』

そう考えるようになりました

 

絵画教室を通して、障がいのある人も、定型の人も
当たり前に同じ空間で、同じ趣味を共有し、お互いに尊重しあえる
そんなバリアのない空間を作りたい

そんな強い想いが大きくなり
自宅で 『アトリエいろかさね』を始めることに決めました

 

今は おうち教室 という小さな空間ですが
私にできることを一つ一つ積み重ねて
長男の子育てで沢山支援を受けて助けられた恩を
アトリエに来室する生徒様を通してお返ししていきたい
という想いで運営しています