『アトリエいろかさね』 主宰:リョウコのプロフィール

主宰者 : 片山良子 1978年生まれ

長男:中学1年生・支援学級在籍(自閉症スペクトラム)
長女:小学5年生
次男:5歳(超グレーゾーン)

《《 略歴 》》

◇ 京都精華大学美術学部デザイン学科マンガ専攻 2001年卒
◇ 大学4年生時“京都アートスクール”にてアルバイトを1年間経験する
◇ 大学生から社会人時代に 個展・グループイラスト展を3度開催
◇ 大学生から社会人時代にマンガを投稿した作品 約20作
◇ 出版社へ持ち込み経験 『集英社』『講談社』『小学館』『白泉社』『角川書店』
◇ 2007年 地域施設で1年間小学生対象にアート教室のボランティア活動をする
◇ 2015年 ポーセラーツインストラクター資格取得

 

マンガ大好きマンガ漬けだったリョウコのストーリー

5歳くらいの頃から、マンガやアニメが大好きで、チラシの裏紙をもらっては絵を描いている子供でした

「ララベル」「ミンキーモモ」「ときめきトゥナイト」

一番最初に大好きになったマンガは 『ときめきトゥナイト』
その影響でマンガ雑誌 『リボン』を小学3年生から愛読♡

小学2年生の頃に、映画『風の谷のナウシカ』が公開され、その映画を見て衝撃を受けました

当時の私には内容が難しい部分が沢山あったけれど
ナウシカの世界観やキャラクターの魅力に魅せられて
マンガ好きが更に加速しました

 

“漫画家さんみたいに、絵が上手になりたい
どうやったら様々なイラストが描けるんだろう?”

小学5年生頃には自分の描いた女の子に名前をつけてみたり、設定を考えることを始めました

当時は“マンガって、どうやって描くのかな?”と思っても、調べるすべもなく教えてもらえる場所もなく、自分で漫画家気取りになって色鉛筆を使ってカラーイラストを描き始めました

 

ちょうどそのころ、本屋で「風の谷のナウシカ」の原作漫画に出合い、即購入しました
原作の方が内容が難しくて「よくわからないけれどなんだかすごい世界観」と没頭し他ことや、宮崎駿さんの水彩画の美しさに魅了されて、私の中の “か弱い女の子の恋愛世界少女漫画時代” が終わり “強く戦う、立ち向かう女性の世界感少女漫画” が私の好きな世界観に代わり、今でもそれは変わっていません

私は “戦う女の子のお話が好きだ!”というものが確立され、“将来は絶対に漫画家になる!”と決意したのも小学5年生の時でした

 

 中学生時代

勉強に興味がなく、授業中は「家に帰ったらどんなイラストを描こうかな~」というイメージを膨らませている 妄想女子 でした

学校から帰宅すると直ぐに机に向かいイラストを描く生活を送っていました

“漫画家になる”と決めていたので、漫画のアイデアを落書き帳に描きまくったり、漫画家さんの絵を模写したり、

初めて「漫画の描き方」という本を手に入れてからは “かけ網” “フラッシュ” “集中線” “てんぴょう”など、漫画の技術を自分で練習する毎日でした
    

夜遅い時間まで私の部屋の明かりがついていることを塾帰りの友人が気が付き
「勉強しているの?偉いね」と聞かれ
「ううん…絵を描いている」と、答えていました(;^_^A

 

中学1年生の頃に 「美少女戦士セーラームーン」のアニメが始まり、女の子が戦死になって戦うという新しい世界観と、今まで見てきた変身モノの女の子が小学生という設定のアニメがほとんどだったことに対して、ちょっと大人びた中学生という設定だったことで、興味を持ちました
ただ、どちらかというと小学生対象とされるアニメだったので、同級生には「セーラームーン大好き」とは話せませんでした

同級生のお友達と漫画の貸し借りをする中で、初めて 漫画家:CLAMP作品 と出会いました

私の求めていた強い女の子が出てきたり、普段の生活の中で「なんで世の中こうなんだろう?普通って何だろう?人と違ったらいけないのかな?」という疑問を問いかける作品も多く、絵の美しさにも魅了されて大ファンになり、絵の影響を受けて、CLAMP作品の追っかけもしていました

 

 高校時代

お小遣いはほとんどが漫画の本やグッズ、画材に使っていて自分のおしゃれにお金を使うよりも“漫画”の方が大切だった学生時代でした

漫画のストーリーを考え始めたのもこのころで、“ネーム”というものを描き始めたけれど、1作を「終わり」につなげるまでの難しさを知りました

イラストを仕上げる事と、マンガを1作描き上げる事はやるべき絵の技術内容が全く違います

イラストのようにただ、可愛いキャラクターがこちらを向いて微笑んでいる絵を描けばいいわけではなく、様々な角度から人物を表現できないといけないし、心理描写や背景など描く必要があり、新たな作画の練習が始まりました

学園物のストーリーを描こうとしても
「学校の校舎ってどういう形をしていたっけ?」
「階段って描くの難しな」
「何気ない街中の風景を描くって大変!」
「人にインパクトを与えるコマ割りって難しい!!」

そんな、描き手目線でマンガの本を読むように変わった時代です

↑始めて投稿した漫画の表紙
角川書店 『ASUKA』に投稿しました
評価はBクラス。

絵が上手くなりたい気持ちから
京都精華大学 美術学部デザイン学科(当時のマンガ専攻)へ大学進学先を決めました

私はもともと、“絵はどこでも描けるから
大学は管理栄養士資格を取得できるところへ進学しよう”
と高校時代を過ごしていたのだけれど

「でも、本当にしたい事って、それなの?ちがうよね」

と言う気持ちが強くなり、高校3年生から美術大学へ向けた勉強を始めました

小さいころからず~~~っと独自でマンガイラストを描いてきたけれど、本格的に絵を習い始めたのは高校3年生

4年生の美大受験を目指すには遅すぎるスタートでした

デッサンの予備校へ行くと、みんなは中学生から美術部だったとか、高校1年生の時からデッサンを習っている人ばかりで、私のように、マンガマンガしていない人がいっぱい…

デッサンの勉強は全然面白くなかったけれど、大学へ行くために努力するしかない

デッサンばかりで、マンガイラストが描く時間がなくて辛い…
そんな受験生でした

 

 美術大学時代

奇跡的に 京都精華大学美術学部デザイン学科漫画専攻(当時)へ入学したものの、入学後に苦労しました

大学の同級生は、美大へ向けてデッサンを何年も描いてきた基礎ができている人ばかり

私は、大学入試用にデッサン教室に通った期間は約半年間
その基礎経験が足りていない状態で、大学では、常に劣等生でした(>_<)

小さいころから学校では “絵の上手い人” だった私が美術大学では “フツーレベルの人” になってしまったんです

みんなのように上手く描けない悔しさと痛烈な劣等感…

それでも、「這い上がるしかない!」環境の中で、絵の上手い同級生の良い刺激を沢山受けながら大学では
恋愛そっちのけで絵を描きまくり、漫画に関連する人物デッサンの基礎力を付けました

大学のみんなが “自分はこういうものが大好き!”という芯を持っていたし、 “こういう世界観を表現することが好き” という自分を持っている人の集まりで、マニアックな画材の話や描き方の話、漫画が好きな同級生も多いので漫画の話もし放題!何より大好きな絵の勉強に没頭できた大学生活は人生の中で一番幸せな時代でした

更に、バイトでお金を貯めて東京の出版社へ持ち込みに行ける自由も得ることができました

持ち込みをしてきた出版社は
集英社・小学館・講談社・角川書店・白泉社……

私にとって 東京は旅行でも観光でもなく 東京=出版社 です

 

ご縁があり、アートスクール予備校のアルバイトを1年間経験しました
思い返せばこの頃に、人に教える事をしていた私です

自分の所属している精華大学の漫画専攻に入学したい受験生の担当をさせて頂いたので
生徒達の必死の思いを過去の受験生時代の自分に重ねて
生徒達に合格して欲しくて、真剣に絵のアドバイスをしました

 

 社会人→出産→育児

大学卒業後は、契約社員として普通に事務員をしながら自宅ではマンガを描いて投稿する生活を、相変わらず続けていました

自分の漫画以外にも漫画アシスタントを経験してみたり、イラストレーションのグループ展を3度開催しました

第一子を妊娠中の1年間は、地域施設で小学生に絵を教える教室がありその先生のお手伝いをするボランティア活動をしていました

そんな社会人時代でしたが漫画家デビューすることは出来ず結婚・出産のため、自由に絵を描く生活から離れてしまいました

自分が絵を描かない日が来るなんて考えもしなかった事です。子供の頃からあんなに毎日欠かさず絵を描いてきたのに、子育てって自分の好きなことができなくなる鎖的なものがあるんだな…と思いました

なんだか子育てが毎日苦しい…と感じていたことには原因があり、長男の発達に違和感を感じていた結果

自閉症スペクトラム であると診断が出た事によって、療育子育てに専念する生活に大きく変わりました

“今は自分の自由を捨てる時期だ”と、自分に言い聞かせて療育子育てをしていましたが

不安で寂しい気持ちと 「私が頑張らないで誰がが何とかしてくれるの?そんなの無理よね」そんなプレッシャーで毎日を過ごしていました

コミックアート教室を始めるに至るまで

 

“いつか絵画教室で子供たちに絵を教えたい”

子供を産んだ時には、 私主体 の夢を持っていました

ですが、自閉症スペクトラムの息子を通して療育先の子供たちと触れる貴重な経験を重ねる中で

“言葉で自分の気持ちを伝えることが難しい子でも
色や形で自分の気持ちを表現することで気持ちを伝えることが出来る!
絵は言葉がない人でも気持ちを伝えるツールになる!
困り感のある子供たちが自己表現できる場所を作れたらいいのに”

という気持ちが芽生えました

 

息子の障がいが分かってから、普通では出会う事の無かった人たちと出会い
沢山の方から支援を受け、これまで関わることのなかった未知の世界を知ることが出来ました

それらの経験は、当時は精神的にも苦しくしんどいことばかりだったけれど、今になって振り返れば全てが自分を成長させてくれる素晴らしい経験で、息子を授かって良かったと思えるようにもなりました

息子も小学生になり、子育てがスムーズに進みだした頃

『私に出来る事はないか? 私に出来る事で行動して生きたい』

そう考えるようになりました

「自分の人生、絵を描かない人生なんてありえない
やっぱり、絵を描き続ける人生がいい」

という想いも強くなり、時代は “人生何度でもチャレンジできる” し “個人の能力を生かして働ける世界”に代わっていました

 

絵画教室を通して、障がいのある人も、定型の人も
当たり前に同じ空間で、同じ趣味を共有し、お互いに尊重しあえる
そんなバリアのない空間を作りたい

 

そんな強い想いと込めて
自宅で 『アトリエいろかさね』を始めることに決めました

今は おうち教室 という小さな空間ですが
私にできることを一つ一つ積み重ねて
長男の子育てで沢山支援を受けて助けられた恩を
アトリエに来室する生徒様を通してお返ししていきたい
という想いで運営しています

アトリエいろかさね =実績=

2015    育児中にポーセラーツインストラクターを取得(3年かかりました(^^;)
2017・2月 アトリエいろかさね 開業届提出
2017・5月 放課後児童デイサービス“ニーム”様 ポーセラーツ開催
2017・9月 アトリエいろかさねOPEN
2017・11月 一般社団法人マイライフデザイン協会転写紙デザイナー®︎
fullMOON としてデビュー 転写紙「yuury」出版
2018・1月 転写紙「Music」出版
2018・2月 パンカフェ“はなよさく”様 ポーセラーツ体験会開催
2018・3月 転写紙 「トリコロール・シリーズ 3種」出版
2018・4月 放課後児童デイサービス“ニーム”様 おやこポーセラーツ開催
2018・4月 放課後等デイサービス“いろえんぴつ”様 こどもポーセラーツ開催 
2018・4月 パナホーム兵庫様 ポーセラーツ体験会開催
2018・4月~ 明石市西大窪厚生館にて おや子アート教室を定期開催(~2019・3月終了)
2018・5月 転写紙 「REX!!」出版
2018・7月 転写紙 「レモン×デイジー」出版
2018・8月 明石市西大窪厚生館にて 「夏休み宿題絵画教室」講師担当
2018・8月 放課後児童デイサービス“いろえんぴつ”様 こどもポーセラーツ開催
2018・8月 パナホーム兵庫様 おや子でポーセラーツ体験会開催
2018・9月 放課後児童デイサービス “おおぞらのいえ”様
おおぞらシンポジウムシンポジストとして講演
2018・10月 キルンアート協会 2018ポーセラーツ作品展 ふたもの出展
2018・10月 小学校PTA様 おや子ポーセラーツ体験会開催
2018・12月 放課後児童デイサービス “みんなの居場所ニーム”様
クリスマスポーセラーツ体験会開催

2019・1月 パナホーム兵庫様 おや子でポーセラーツ体験会講師担当
2019・1月 明石市発達支援センター 「就学前・就学後の話を保護者へお伝えする会」で
先輩お母さんとして話す
2019・8月 明石市西大窪厚生館 “夏休み宿題絵画教室” 講師担当
2019・8月 子供会様 “こどもポーセラーツ体験会” 開催
2020・12月 子ども会様・地域自治会様 “ポーセラーツ体験会” 開催