『みんなちがってみんないい』を受け止める

『みんなちがってみんないい』 って子供には教えるけれど

これって、親が受け止める事の方が難しいみたい

私は幸い、子供の頃からマンガ好きの超オタクだったから
その頃から人とちょっと違う嗜好の子供だったし

流行とか人と同じが嫌で
ファッション雑誌に興味を持たない女子高生でした

だから、学生時代は一人か少人数でいる女子だったのですが
大人になって、ママ達の輪に入ると
圧倒的に 「普通」 を求めるママだらけ

特性を持つ我が子の事を
お友達に受け止めて欲しいという気持ちも持ちつつ
皆と同じことを皆と一緒にできて欲しいと願うママ達

 

みんな一緒に出来る事が当たり前
という環境で育った私たちは、人と違う事をすることに恐怖を感じるんですね

ヘンな行動で目立ってほしくない

普通・平均である事が当たり前の教育を受けてきた私たちは
特性を持つ子供が園や学校でみんながしない行動をして
目立つことを非常に嫌がるママが多いんです

例えば音楽会の行事では

・ き・ち・ん・と行事に参加して欲しい
・ 列からはみ出さないで欲しい
・ 舞台に立っている時に、ふらふらしないで欲しい
・ 静かな場面で一人騒がないで欲しい
・ 訳の分からない事でパニックにならないで欲しい

それらの場面を、多くの保護者が見に来ている前でやらないで欲しい

 

そういう、不安や悩みを持つママ達の話を聞いて来ました

特性を持つ子供だからと、過敏に考えすぎて疲れているママも多いなと感じます

普通の子供でもヤンチャで落ち着きなくて騒ぐ子供もいるし
フラフラする子供もいるから、特性を持つ子供だけが目立つ訳ではないのだけれど

“障がい”と名がつく事で
そうとうプレシャーを感じているお母さんが多いのではないでしょうか

 

幼稚園の頃、本がものすごく好きな子供を持つお母さんが
「我が子は物語が好きで、すぐに自分の世界の話をぺらぺらするから
そんな変な事を話しないで欲しいと思ってしまう」

と言うのです

私は、幼稚園の時から文字の多い本をスラスラ読むお子さんのレベルがすごいと
素直に思ったし、物語の想像力が豊かで、作家になれるんじゃない?
想像力が豊かなことっていい事だよ!誰でも出来る事じゃないよって褒めたのに
そのお母さんは

「私は普通でいい。変わっていることが受け入れられない」
と言いました

ああ、そうなのか
平均である事が何よりの安心なんだね

大人が既成観念を変えられなければ
子供を寛大に受け止める事はむずかしいんだなと感じた出来事でした

 

親の既成観念を変えるには

大人は20年30年40年と、年齢を重ねる毎に
これまで生きて来て学んできて生活してきた
凝り固まった考え方があります

例えば
・学校へは列に並んで行くべき
・友達とはだれとでも仲良くするものだ
・挨拶をハキハキとする
・授業は集中して受ける

…当たり前だと思っている事を変える事は、相当難しい

変わる事って、凄くストレスのかかる事だから
そんなしんどい思いをしたくないと考えるのが人間です

大人の価値観を子供に当てはめて

「なんで、そんな簡単なことができないの?」

と、叱ってしまいます

 

自分が今まで正しいとしてやってきたことを
書き替える作業って苦痛です

 

私も子供を育てながら、1年1年積み重ねて

【~しなければならない】
【~するべき】

をやめました

 

出来ないものは出来ないし
いつの間にか出来るようになる時期が来る

 

親と子は別の人格である

 

そう、少しずつ気持ちを切り替えて行くしかありません
急には考え方を変えられなくてもいい
少しずつ、一つずつ寛大に受け止めようというくらいで
変わればいいんです

療育を受けながら住むならアメリカ?

療育に詳しくなっていくと、療育の先端はアメリカの事例が多くあげられるのですが
アメリカの話を聞いていると、
宗教も価値観も人種も違う民族が混ざり合っている国だから
そもそも、多様性を受け入れる事に寛大だよね
羨ましいよね

という話になるんです

 

家族でアメリカに移住する余裕があれば
子供はよりよい環境で育てられるのかな?

子供は成長するのかな?

親は、周りの目を気にせず生活できるのかな?

そんな話をママ友達と冗談でしたものです

療育に関しては、『療育なんかいらない!』の著書 佐藤典雅 さんが
子供の持っている能力には限りがあり、最終的に日本とアメリカであまり差はない
と書いていました

日本は閉塞的?

障がい児を育てていて思う事。
ママ友達と話すこと。

子供の障害を周りの人へカミングアウトしたあと
周りの反応がどうなるのか分からないからが不安で仕方がない

 

日本は 平均・平等・同じ が安心する民族

障がい者に触れる事の圧倒的に少ない社会

言葉だけで 「個性」 なんて習っても
実際に障がい者に触れていないから、偏見があるのではないか
と、不安に思っていました

 

私自身だって障がい児を持つまでは
障がい者の事なんて考えたことのなかった生活をしていた

もし、私が普通の子育てしかしていなくて
友人に「子供に障がいがあってね…」て話をされたら
なんて言っていいのか分からなくて「大丈夫だよ」とか「大変なんだね」って
うわべの言葉しか言えなかっただろう

だから、障がい児を育てたことのないお母さんに何を言われても
悪く思う事がなくなった

 

ただ、障がい児を育てた事のない親にしてほしくない事は

【平等】と【公平】を間違えないで欲しい

 

私のように、上手く出来ない子どもや
みんなと、ちゃんと同じことを出来ない子どもを育てているからこそ
同じように出来ない子どもが、行事で上手く出来ていなくても
「仕方なかったね、でも練習はよく頑張ってたね~」と褒める事ができるけれど
そういう子育てをしていない親や、そういう子供と触れ合った事のない親は

“自分の子供まで巻き込んで輪をかき乱さないで欲しい”

と思っている人も中にはいる

 

息子は特別支援学級に在籍しているので
職員の配置だけを考えても、予算を多く使っている
特別行事も多い

それを、良しと思わない保護者もいる

 

私自身も、子供が受ける療育費用の高さに驚いたし
その9割以上は国や市町村が支払ってくれている

《特別児童手当》が支給されるようになって
“障がい” があるからお金が支給されるなんて…なんか申し訳ないし
お金なんて……と、息子が幼い頃は思っていました

福祉の恩恵を受ける立場になって
多くの予算を息子に使ってもらっているんだと
申し訳なく思っていました

 

最初は、『息子のために申し訳ない』 と思っていたのだけれど
申し訳ないと考えていることが
我が子はダメな子と自分が思っていることが嫌で

支援の必要な人に当然の権利よね
そう考え方を変えました

それが国の制度であり、福祉制度なのだから

特別扱い ではなく 必要な支援

 

日本にそういう考え方の人が増えると、
周りの目を気にすることなく過ごせるのになと思っています

 

そして、息子が障害と診断された10年前と今とは
療育受けている と普通に話す親が増えています

インクルーシブ教育 と言う言葉がまだ出て数年

更に10年後にはネットで世界中と繋がる事が当たり前の世の中になるので
多様性を受け入れる事が当たり前の社会に変わっているんじゃないかと
期待しているんです

 

『アトリエいろかさね』 主宰:リョウコの★プロフィール★

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