親が「かわいそう」な子供にしていない?

障がいを持って生まれた子供は

「かわいそう」では断じてない!

それが私の考え方。

 

お母さんによっては

「 “かわいそう”とは違うかもしれないけれど
不器用なところや、コミュニケーション力の弱さがあるから
普通の人よりミスが多くて指摘されたり、茶化されたり
苦労する人生を歩むことが目に見えていて、
それを思うとかわいそうと思ってしまう 」

という意見もありました

 

過去の私も同等の意見をもっていました

「世の中にはこんなに楽しい事や美味しいものがたくさんあって、
親は一生懸命子供へ楽しさや美味しさをアピールしているのに
子供は興味なし。無反応。そんなの人生楽しめてないよね」

って。

そして、自分の事を
「障がいを持つ子供を苦労して育てている私はかわいそうな母親」
「こんなに熱心に療育子育てしているのに、報われている気がしない」

そう、思っていました。

 

それが、他人から「かわいそう」と言われた出来事をきっかけに
私の中で、何かが違うと気付きを得ました

「かわいそう」と言われてどう返せばいいか分からなかった私の未熟さ

小学校の支援学級に入学した息子

息子の通う放課後デイサービスで
療育園時代、同じクラスだった一つ年下の子供と出会い
挨拶をしました

 

すると、その子供から

「いっくん(息子)はなかよし学級なんだね。かわいそうだね。」

という事を言われました

この時、私はすぐに返答することができず、固まってしまいました

「そんなことはない!」って説明したいけど一年生の子供相手に
何と話して説明すればいいのか言葉が浮かばなかったし、
同じ療育園へ行っていたのに、なんでそんなこと言うの?
と不思議でならなかったし、モヤモヤとした気持ちのまま

「かわいそうではないんだよ。」とだけ早口で伝えて直ぐに帰宅しました

 

私は頭の中で「かわいそう?」「かわいそうなの……?」
と、グルグル考えました

違う、私は息子を「かわいそうな子」だなんて思っていないし
「かわいそうな子」に育てていないし
私は「かわいそうな子」の母親ではない!!

なかよし学級だから “かわいそう” なんて、間違ってる!!

子供に何て答えたらいいのか

今の私は、「いっくんは障がいがあって、かわいそう」と言われたら

「何でかわいそうと思うの?」と反対に聞き返せます

 

「家族がいて、美味しくご飯を食べて、楽しく遊んで、幸せに暮らしているよ
それの何がかわいそうなの?あなたと何の違いもないよ

と、答える事ができます

 

「なんで喋れないの?」「なんで泣いてるの?」
「なんで教室に入れないの?」「なんで早退するの?」

これまで、さまざまな事を息子の同級生から聞かれて
嘘をつきたくないし、正しく知ってほしいし
って真面目になりすぎて、悩んできました

でも、園児や低学年の子供たちに
どのように話せばいいのか分からなくて
正解の答え方なんてないんやけど
子供たちの質問にしどろもどろ答えてきました

 

今の私は、園児さんや低学年の子供に「なぜ?」と質問されたら

「あなたがピアノを習っていて得意なことがあるでしょう
いっくんは、ブロックで遊ぶのが得意
話すことは苦手だから、習いに行ってるねん
得意なことと苦手な事が違うだけやねん」

って答えます

サラッとこたえると、相手の子供も
「ふ~ん、そうなんや」

って、あっさり納得してくれます
大人が思っているほど、周りの子供たちは深く考えていません

小学生低学年の子供にはこう話します。

「勉強ができない子供がなかよし学級に行くわけではないんだよ。
なかよし学級でも、学習をしているよ。

沢山の人数のいる教室では、みんなと同じように集中することが難しい子供や
自分のペースで勉強したい子供がなかよし学級を選んで勉強をしてるねん。

みんなと学習方法が違うだけ

 

“かわいそう”という考え方が自閉症を差別意識で見ている

親が、固定観念にとらわれて

『普通はこうあるべきが幸せなんだ』

と考えていて、自閉症スペクトラムの子供がその枠に当てはまらない事が
“かわいそう” “不幸” だと思いがち

 

例えば、自閉症スペクトラムを持つ人は
人との関わり方が独特で
友達を作りにくかったり、友達に理解されづらい事が多くあったり
本児が友達とかかわる事を好まない事もあります

それを傍から見ている親は

“ 我が子に友達がいない(できない)なんて
寂しい園や学校生活を送って欲しくない
かわいそうだ ”

と思ってしまいます

 

子供同士が友達と触れ合っている姿を見る事は
親は幸せを感じますよね

そんな、当たり前の事が難しい自閉症スペクトラムの子供が
不幸なのかというと、
自閉症作家の東田直樹さんは「違う」とインタビューに答えている
テレビ番組がありました

「あなたは、友人のいない僕の事が 不幸せに見えますか?」

「友人がいない事が不幸せであるというのは、あなたの価値観です。
僕の価値観と違うだけ」

言葉のニュアンスの違いはあるかもしれませんが、このような事を答えていました

 

その言葉が、私の胸にささりました

子供が幸・不幸と感じているのかどうか だ!

親が子供の価値観を決める事ではない

親が考え方を合わせるしかない

ふつう であることは、いったい誰が決めたの?

皆、個々人で自分は普通だと思っているのなら
をもつ我が子だって自分の価値観がフツーである

それを、親が自分に当てはめて我が子の幸せの裁量を決めるのは
違うよね

子供だって、楽しい事には没頭するし、嫌なことはやらない。

どんなに他人と違た行動をとろうとも、他人に迷惑をかけない範囲で
本人が楽しければいいやん

電車そのものを楽しまずに、電車の車輪をひたすら見る事が好きなら
それでもいいやん

そう、親が気持ちを切り替えれば、楽に子供とかかわれます

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