自閉症の息子が支援学級へ就学したことで学校教育制度について知った事実

《リョウコの子育て観》

自閉症の息子が支援学級へ就学したことで学校教育制度について知った事実=日本の義務教育の歴史=

オカタイタイトルになってしまいましたが、このブログ内容はお母さん目線で学校教育について調べていて分かったことと、私が考えていることをまとめたものです

なんで学校教育についての記事を書こうと思ったのかというと、知的障害を伴った自閉症を持つ私の息子は支援学級へ在籍している事から、小学校入学前の 《就学相談》にもすごく悩んだし、就学後も、息子がどのように学んで成長していくのか不安を抱えながら学校生活での成長を見守ってきました

息子や、その他発達障がいをもつ子ども達が【学校】という集団組織に馴染みにくい様子を見たり聞いたり、お母さんたちの悩み相談を受けている中で

そもそも、なんで学校へ通わせないといけないのか?

義務教育って何なの?

学校へ行く事で障がいをもつ子ども達はどのような影響を受けられるの?

【学校制度】の仕組みについて疑問を持つようになりました

そうして、私が小さいながらも自営業を経営するようになってビジネス書を読んでいると、

“現代からこれから未来の働き方に、日本の【義務教育】で学んでいることが会社・社会の中では生かせない”

という事を発している経営者が多い事が分かりました

学校教育(義務教育)の歴史

義務教育が始まったのはイギリスの産業革命にあります

産業革命がおこる前までの時代、 農業・漁業・職人などの民衆は学校へは行っていませんでした

彼らは日中、家族で家の仕事をしている生活でした
勉強と言えば、夕食後に読書をしたり、子供は親から教わって学んでいました

勉強を学んでいる賢い人たちは、お金持ちのおうちの子供です
お金持ちは高い賃金を支払って家庭教師を雇うのが当たり前だったんです
(マンガ『アルプスの少女ハイジ』のクララは家庭教師から勉強を教わっていますよね。それが普通の時代です)

ところが、イギリスで産業革命を迎え、工場で働くために人材が必要となってゆくのですが、農民や職人の元で長く生活してきた人には工場で働くには適さなかったんです

というのも、工場で働くためには

・決まった時間に出勤(時間通りに仕事をする)
・上司の指示を聞く(指示に逆らわない)
・指示通りに仕事をする(自分勝手な仕事をしない)

のように、守るべきルールがあるんです

現代の私たちにしたら、当たり前のルールですが、当時の農民や職人で生活していた人には工場で働くためのルールを直ぐに覚えることができなかったんですね

社会学者のアンドリュー・ウールが「公共教育の目的」でこのように述べています

【いったん成長期を過ぎてしまったら、農業の子供も職人の子供も、優秀な工業労働者に仕立てるのは不可能】

【若者をあらかじめ産業制度用に育てられれば後の仕込みを大幅に省ける
すなわち、産業社会には公共教育が必用だった】

要するに、“親の元で10歳まで育てられた子供は、工場で従順に働くには向かない”

“学校教育で工場で働くための基礎知識を教えていれば、働ける年齢になった時に即戦力となる”

だから国は、工場で働くための働き手を【義務教育】として養成することにしたというのです

当時の【義務教育】を課せられた親は2択の選択の中から教育を受けさせるしかありませんでした

⓵ 家庭教師を雇う(高額なのでお金持ちにしかできません)

⓶ 安い・無料の公共学校に行かせる

【義務教育】とは “子供の教育を家庭から引きはがすツール” だったんです

未来学者のアルビントフラーは『工業社会の裏カリキュラムは3つある』といいます
それは

1 時間をまもること
2 命令に従順な事
3 反復作業を嫌がらないこと

これが、流れ作業を前提とした工業労働者に求められている資質なんです

学校生活では知識の習得ではなく、集団生活を学んで流れ作業要因を育てる事が目的だと言われています

学校生活では、決められた時間に登校して、決められた時間に授業を受けて、先生が前に立ったら静かにして、先生の指示に従います
クラスの中で一人だけ違った行動なんて、できない組織ですよね

この集団生活を小さいころから子供たちが身につけさせると、大人になって会社で働く年齢になった時に
「時間を守りましょう」とか「上司の指示を聞きましょう」と
教えなくても “そういうものだ” と行動するようになるという事です

私たちも、それが当たり前で育ってきましたよね

朝、眠くてもめんどくさくても、たたき起こされて学校へ行って、授業を受ける

休み時間、楽しく遊んでいても、チャイムが鳴ったら気持ちを切り替えて教室へ戻って授業の準備をする

先生が授業をしている間はふざけたり騒いだりせず、静かに授業を受ける

先生の指示に歯向かわず聴く

そのように学校で学んで、社会人になりました

義務教育の裏カリキュラム

1 時間をまもること
2 命令に従順な事
3 反復作業を嫌がらないこと

を知って、私はゾッとしました

教育を受けられる事は幸せなことなはず
勉強したくてもできなかった大おばあちゃん世代の話も聞いて来ました
貧しい国では、読み書きができない人もいます

日本という経済的に恵まれた国で何不自由なく当たり前に教育を受けて、職業選択の自由まであるというのに、それは会社員として働くための養成プログラムに過ぎなかったなんて…

思春期には、拘束されるのは嫌だ!って反抗的になったり、なんで学校へ行かなきゃいけないんだ!もっと自由が欲しい!

なんて、複雑な気持ちを抱える時期を過ごしてきたけれど、そもそも会社員として働くために集団組織の中で規律を守ることを訓練させられていたってこと?!?

日本にも産業革命の流れが入って来た!

⇒ 落合陽一さん著書「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人の教科書」 101ページにはこのように記してあります

日本の近代教育は明治期の人口の自然増加を前提とした国家において制定されました。他国も産業革命以後、人口の増加から、一律の教育カリキュラムの制定に追われていました

それは国民を 標準化・均質化 することで拡充されるインフラの中で、国民国家建設のための人的資源を工業・農業、社会インフラの面で効率的に利用しようとするものです

“国民の標準化・均質化”とは、国民一人一人の思考の傾向、「常識」となる基本的な考え方、あるいは肉体的な能力を、国が標準を設けてそれに合わせて水準を揃える事です

⇒ 乙武洋匡さん著書「子どもたちの未来を考えてみた」PHP出版の49ページには、このように記してあります

乙武さんと民主党政権時代に文部科学副大臣を務めておられた鈴木寛氏との対談で

「戦後の日本は工業立国を目指していましたから、教育システムもそれに準じたものになりました。

つまり、大量生産の為にマニュアルを暗記し、ベルトコンベアの前で正確かつ高速な作業ができる人材が必要とされていた。
高度成長期においては暗記力と再現欲が求められていたのです。

ところが、そうした正確さとスピードを求められる作業はデジタル・テクノロジーの発展により、現在は人間の仕事ではなくなりつつあります。

これからの時代に求められるのは、手本を正確に真似られる人材ではなく、0から1を生み出せる人材です。

しかし、現在の大人の大半は、工業立国を目指していた時代の教育こそが正しいと思い込んでしまっている。

ここに大きな問題があるのです」

両者ともに教育者として生徒を持っていた・現在持っている著名人ですし、世界で仕事をしていて、日本的な考え方から抜け出した思考の持ち主です

私のような賢い部類ではないただの主婦も、両者が発している文章を読むと、「そうなんだな」と納得してしました

メルカリが小学校で授業

じゃあ、私たちの子供が将来働くためにはどのような力を身につける必要があるの?学校では足りないの?学校の勉強は無意味なの?って、不安になりますよね

正直子供には学校へ通ってもらわないと、仕事があるから家庭で面倒みられる環境には無いんだもの

そこで、こんな事例をご紹介します

皆さんご存知の“メルカリ”が、小学校で道徳の授業をしたそうです
6年生の子供を対象に、道徳の授業で

「メルカリに出品するTシャツにシミがある場合は、シミのあることを言うべきか?隠すべきか?」

という課題を議論してもらったようです

結果として、

“嘘はいけない事”
“その理由は、うそをつくことで自分の信用を落とす行動になるから”

と結論づけたそうです

小学生にとって、道徳の教科書をただ読んで受ける授業よりも
身近なメルカリというIT企業のトップメンバーが話してくれることで興味関心を持ちやすいですね

そもそも、学校教育でこのようなビジネス目線の話をすることは難しいのです

更にメルカリは、これからの時代に大切な事はこれだよと示しました

〇約束を守る事(荷物を決められた時に発送すること)
〇質問に答える事(相手を無視しない)
〇自分や他人に正直であること(誠実に対応して、嘘をつかない事)

BY メルカリ

この3つのポイントは、堀江貴文さんや・キングコング西野さん・岡田斗司夫さんもよく語っていらっしゃいます(私、この3人が発信している内容が大好きなんです)

これから私たちが生活していく社会の流れは 【貨幣経済】ではなく
他人から受ける評価に価値を見出す【評価経済社会】になってゆくのだと

だから、自分が利益を得たいからとウソを言ったり、他人の悪口を言っていると、それは自分の評価が下がる行為だからやらない方がいい

正しく誠実にしていれば、他人から評価を受けて信用を得られて仕事が入ってくる
それが【評価経済社会】

与えられた課題をこなせる人ではなく、疑問を持つ思考を鍛える

子どもには、【どんなことを身につけるために・どんなことを学んで来るよう学校へ通わせるのか?】と、親の軸を持っておくことや、子供が学校で学べないことは親が教えるめに親も学ぶことが大事だと気付きました

“子供のことは学校へ全てまるなげ”

“全て学校へお任せしていればいい”

では時代の流れから遅れます

そして、私が意識していることは、親の思うように子どもへ言う事を聞かせるのではなく
子供自身にも「自分はどうしたいのか」を考えてみてと伝えています

例えば
“宿題をする時間は自分で決めて守る事
どんなに遅い時間に宿題をしていたとしても、本人が決めたことだから口出ししない”

のようにしています

私が口を出すのは、他の人のペースを崩すこと(順番にお風呂に入って!でないと、他の人も待っているから)や、 生活リズムを崩さないこと(最低夜10時30には寝る事)という感じです

正直、子供に「ママ、それ違う」「この前はこう言っていたじゃない」って言われるとイラっとしてしまいますが、子供と親は違う思考を持った人間だから意見が食い違って当たり前だと自分に言い聞かせています

ある意味子供が親を成長させてくれる存在です
子供が分からないことは、親もGoogle先生を使って必死に調べて、新しい発見に出会えるからです

ありがたいことに、インターネットの普及とGoogle先生の発達によって
分からないことは何でも答えが出てくるし
頭の良い人(ホリエモンさんやキングコング西野さん、岡田斗司夫さん)の考えていることや発信していることを即入手して
家庭教師代わりとして身近に置いておくだけで、その思考に触れることができます

学校へ通う事で得られるものももちろんあるし、日本人全ての人が読み書き計算ができる高度な教育は評価できるところです

学校では良い所を利用して、足りない物は家庭で補うために親も学びが大切だなと実感しました

この記事を最後まで読んでくださったあなたにも、気づきになる事を提供できていれば嬉しいです(^^)

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➡ 自閉症の息子を支援学級へ通わせる中で、学校教育について考えて気づいたこと


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