「みんなと同じでいてほしい」を手放すまで

《リョウコの子育て観》

「みんなと同じでいてほしい」を手放すまで

発達障害・知的障害の診断を受けた長男を育てていると、
「その子らしく育てればいい」と、今の私は、そう思えるのですが
子供が小さかった頃の私は、 そんな風には全然思えなかった


息子が幼稚園時代の頃の私は、『とにかく周りの子供達に少しでも追いついてほしい』
そう思っていました


知的障害を伴った自閉症スペクトラム障害があることを分かっていても、
それでも、少しでも同じようにできるようになってほしいと、そう願ってた


幼稚園生活では、息子はなんとなく集団の中で過ごすことができていました
鬼ごっこ遊びも、 本当のルールは分かっていなかったかもしれませんが、でも走り回ることは楽しみ、カルタやトランプも、 ゲームとして理解していたわけではないけれど、 その場にいることはできました

お絵かきも好きで、アンパンマンのキャラクターを描いて過ごすことができました

細かく見れば、 息子はみんなと同じではなかったけれど、でも、「その場で過ごせる」
それだけで親としては安心していました


療育施設へ通いながら、私はこう願っていたんです
「幼稚園で一緒に遊んでいる子達と、 ずっと仲良くしていけたらいいのに・・・」

友達を作ることが苦手な息子だからこそ、今あるつながりが続いてほしいと、そんな親心でした


でも、小学校に入ると世界が変わりました

幼稚園は遊びが中心ですが、小学校は学習が中心

ひらがな・カタカナ・数字・計算・テスト・評価


そこで私は気づきました
「ああ、もうみんなと同じ道は歩めないんだな」と

頭では分かっていても、でも心は追いつかなかった

周りのママ友達の会話も変わりました
担任の先生の話・テストの話・塾の話・勉強の話・将来の話

私が考えていたのは、そんなことではなく
・学校に慣れること
・給食を食べること
・人の多い環境に慣れること
・まずは学校へ毎日行けること
それが最優先でした

将来なんて未知の世界、まったく先が見えない不安しかありませんでした

学校生活の過ごし方が違うから、他のお母さんたちと会話を共有できないことや
同級生のお友達がどんどん学習して成長してゆく姿を授業参観で目にすると
「周りの子達と比べてはいけない。」そう思っていても、やっぱり比べてしまう


みんなができることが、 うちの子にはできない
それが悲しい
ただ座るだけ
ただ話を聞くだけ
ただ順番を待つだけ
周りの子には簡単なことでも、発達特性のある子供にとっては、 とても難しいことがあります


「なんでそんなこともできないの?」そう思ってしまうこともありました
でも、本人にも説明できないことがあるんですよね
感覚の違い
苦手さ
しんどさ
本人だって困っている
でも言葉にできない

だからこそ、悲しくなりました


そんな長男の子育てをしていた私ですが、「うちの子はうちのペースでいい」と、本当の意味で気持ちが整理できたのは、息子が小学校3年生頃でした


小学校生活の3年間をかけて、少しずつ自分の気持ちの置き場やあり方を整理できました
“みんなと同じ道を探すのではなく、この子に合った道を探す”
“できないことを数えるのではなく、できることを増やしていく”

その考え方へ変わったのです


これは、簡単なことではない
自分の子育てへの価値観を変えなければいけないし、覚悟が必要でした

多くの子供たちの教育は、小学校⇒中学校⇒高校⇒進学?就職? と、レールが決まっていますが

障害のある子育てでは、そのレールから外れることや、外れる場合はどういう道があるのかを親が調べて子供と共に歩まなければいけません


だから今、もし昔の私と同じように悩んでいる保護者の方がいるなら伝えたいです

一人で頑張らなくていい
福祉サービスや相談機関を頼り、協力してもらえる家族がいるなら頼っていい


子育ては、親一人でするものではなく、多くの大人や子どもたちとの触れ合いやかかわりがあってこそ子供は成長します

まして発達特性がある子供なら、理解者や専門家の力は必要


そして、どうか周りの子供達と自分の子供を比べないでください

日本人は、“みんなと同じ” を好む傾向が強いのですが、そこに自分の子供を合わせようとすると、
その子の良い部分がダメになってしまいます

圧倒的多数ができる事でも、うちの子には合わないこともある

それを理解して、子どものペース守ることが、結果として一番大きな成長につながると、息子が高校3年生になった今、私はそう思っています

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