障がい児を学校へ通わせる意味を考える

障がい児を学校へ通わせる意味を考える

 

障がいのある子供を学校通わせる理由を考えました

・自宅に子供がいると、親の生活が困難になる(仕事に出られない、子供への見守りが必用)

・子供を学校に通わせる義務があるから。(義務教育)

・最低限、勉強して頭を使ってほしいから

・集団生活に慣れる

・多くの人間にもまれて欲しい(自分以外の人間の価値観に触れる)

・規則正しい生活リズムをつけるため

・同級生との関りを通して、子供が成長できる

・親だけでは子育ては困難。他人の力を借りる為

・自立した生活を送るための基礎をつくる

・自立した生活を送るための学力をゆっくり身につける

といったところです

 

でも、小学校入学前は

“皆行って当然だから”

と、言う理由のみで学校へ通わせていました

なぜ、みんなと同じ時期に同じことがにできないといけないの?

生活に直結する、食事・排泄・睡眠・外出
などのスキルは子供自身に身につくと、親の手が離れることで子育てが100倍楽になります!

安心してトイレトレーニングが終了した時には、本当に楽になった感動がありました( ;∀;)

子供自身が自分で自分の事ができるようになるスキルは身につけたいものです

 

じゃあ、 みんながお遊戯しているから我が子もお遊戯をしないといけないのか?

今は先生の話を聞く時間になったから、集中して遊んでいた粘土遊びを中断して
先生の話を聞かないといけないのか?

一生懸命、鉄棒の逆上がりを練習をしていて、あと少しでコツをつかめそうだから
もう少し取り組みたいのに、外遊びの時間が終了なったから
今、鉄棒の練習をやめないといけないのか?

 

・・・そのように、保育所や幼稚園、学校の集団生活では時間で管理して全体の行動を促しますから
自分の興味関心から引きはがされる事が多くあります

息子は気持ちの切り替えが苦手だったので、気に入らない次の行動へ移すことは苦労してきたと思います

気持ちを切り替える練習は確かに必要です

でも、せっかく子供が集中していたり、熱心になっている事を終わらせないといけないなんて
そりゃ怒ったり、パニックになったりしますよね

 

本当に、、皆と同じにできないといけないんだろうか?

という疑問が私にはありました

幼稚園時代の音楽発表会の時の出来事です

多くの保護者が観覧に来ている場面に驚いたA君は、じっとしていることができなくて落ち着いて発表をすることができませんでした

A君お母さんは、A君の姿を見て泣いてしまいました

 

A君のお母さんは

「普通に、皆と同じように発表して欲しかった」
「ウロウロして、目だって欲しくない」

そう言って泣いていました

 

私は、子供が嫌だったら無理に参加しなくてもいいんじゃない?と考える性格なのですが

通常の親は子供の晴れ舞台を楽しみにしているし、A君のお母さんの場合は

我が子がみんなと同じ行動ができない事を“恥ずかしい”と思っている

みんなと違う事が受け止められない

のでした。

でも、今A君は成長して、通常学級で学校生活を送っていて、いたって普通に音楽会の場で発表しています

私の子育て観は、子供の成長に伴って、いつかできるようになる日が来るまで待てばいいし

生活に直結しないことや命にかかわらないことについては
本人がしたくないのなら
できなくてもいいと考えています

 

国語の本読みができないとか、ソプラノリコーダーが吹けないとか
そんなこと、できなくたって死にません

上手くできない子供の姿をみて、お母さんの涙を子供に見せてしまう方が
子供の自信喪失につながるよねって思います

 

今の私は、自分に問います

「このスキルは今、子供ができるようにならないといけない事なのか?」

“球の体積の求め方”のように、絶対に生活で使わない内容を学習することは除外していますし

本人の興味が全くない“地図”の読み方を学習するのは、今ではない!と判断して
実体験で電車を使って目的地まで出かけるという実生活で必要なスキルを練習をしています

勉強についていけるかしら?と心配するのはなぜ?

「高校ぐらい行って当たり前、就職に困る」

「大学へ行きたいなら行って欲しい」

「少しでも、学力の高い高校・大学へ行く方が将来有利なんじゃないか」

私たちも、そのような教育を受けてきたから
我が子対しても自分がしてきた道や自分が考えてきたその道が良いだろう
という価値観が残っています

でも、障がいを持つ子供はその通りの進路では進めません

“みんなが普通に進む道” とは違った考えをしないといけない所から始まりました

“学力の内容よりも、自立した生活を送るための安定した就労へ向けて、どういった進路で子供を育てるのか”

が重要でした

そのために、自分で考えたり・本を読んだり・自分で教室業をすることでビジネスの世界に関わるようになってからは、学校教育に対して社会が求めるものとズレが生じていることを知りました

学習で高得点をとることが重要ではない

親が子供へ希望するのは

●高校受験・大学受験にむけた学力をつけて欲しい

●子供が将来働きたい仕事(目標)ができた時に、その学校へ入学するだけの学力をつけておきたい

●高校ぐらいは卒業してほしい

●安定した就職先

というのが、ごく一般的な考え方ですし、私もそう思っていました
でもその価値観は、今から大人になって社会に出る子供たちには関係ないと確信しました

学校の学習・テストでは “100点満点” をとる事で評価をします

ですが、国語・算数・理科・社会・英語各教科で平均的に80点を取る人間よりも
例えば化学で 20000点 取る人の方が、企業では重宝される人材となります

 

その理由は、80点取れる人は世の中に大量にいるからです
でも、20000点をとれる人間はどれだけいるでしょうか?

希少性のある人材の方が、活躍できる世の中に変わっているのです

 

これは、メディアアーティストの落合洋一さんの言葉なのですが
私は彼のことばを聞いたときに、息子の将来にも希望が湧きました

みんなと同じような学習能力を身につける事は、自閉症の息子には難しいけれど
好きな事や得意な事に集中する力は誰よりも強い、自閉症の特性として持っているものがあります

同級生の子供たちは、学校の学習に遅れないように、または学校の学習では足りないから塾へ通い始めますが
そもそも何を目的として学習するのか?

高校がゴールではないし、大学がゴールでもない
ましてや、良い会社へ就職することがゴールでもないことは1社に永久就職することが当たり前ではなくなった今の時代には明白です

誰にも負けない特技を生かせば、得意な事で人との繋がりを作ったり
仕事につながるような未来社会が来るんじゃないかと思ったからです

だから、自閉症の息子をはじめ、私の子供たちには「勉強しなさい!」と叱ることはなくなりました

勉強は、一生続けることができます

私も、40歳過ぎてから、ビジネスの世界の勉強をしていて、自分が好きでしている勉強は
大変であっても、楽しいんです

人は、何歳になっても学べます
学校に行っている間だけが、学習期間ではありません

「遊びが仕事になる時代が来る!」と堀江貴文さんは話しています

プロゲーマーが有名人になって、ゲームをしているだけでも食べて行ける時代になるし
今まさにヒカキンさんを始め、好きな事に追求した人がマニアックなジャンルで注目を浴び
仕事となっています

さらに、今から需要のある職種は【ゲーム実況】です!!
ネットの世界で稼いでいる人たち(マナブさんなど)が注目している業界なので、間違いないでしょう

※マナブさんって誰だよ。という方へ(^-^;
   個人で働く働き方をしているマナブさんのブログはこちら ⇒ ★★★

 

私が学生の頃は、ゲーセンで凄腕のゲーマーの周りにはゲームの腕前を見たくて人だかりができていました
それが今は、ネットを通じて世界中の人が凄腕ゲーマーのゲームを観戦できます
ゲーマーは大好きなゲームをしているだけで、観覧者が投げ銭してくれるわけです

そんな時代に、もうすでになっています

だから、息子がゲームをしたり、娘がYouTubeを見ていることじたいが “悪い” とは思わなくなりました

学校で学ぶ授業は、幅広く知識を得られるので、子供の選択肢が増えるし
生活するために必要なスキルも当然ありますから、すべてが悪いなんて思いません

自分と子供が、学校では何を重視して学んでほしいとするのか

を考えるようにしています

 

先生から与えられた問いに対して正しい回答をする力よりも、自分の考えを人に伝える力の方が圧倒的に有利です

それは、AIの発達により、ググれば答えは出てくるから
答えのある問題については人間がわざわざ覚えなくても良くなるからです

 

歴史上の人物の名前を機械的に覚えることや、“794うぐいす平安京”のように丸暗記で年号を覚えるよりも

なんで飛行機は空を飛ばすことができるの?
なんで冷蔵庫は中身を冷やせるの?
スマホはどいう仕組みで作られているの?

なぜ? を考える事の方が大事だと考えています