療育を卒業する年齢

療育子育て

自閉症スペクトラム障がいのある息子は、11歳の誕生日を迎えました

小学校5年生になり
「上級生だから、支援学級に入ってくる新一年生へ
お手伝いできる事や、上級生が教えてあげれらる事は
お兄さんとしてするんだよ」

という意識を持たせるように、学校へお願いしていました

  • いつまでも、支援を受ける側ではなく、自分ができる事は自分でする
  • 新一年生が分からなくて困っていることは、自分が助けられるなら助ける
  • 校外学習や特別授業など、上級生が下級生をリードしないといけない事はやる
  • グループのリーダーをする

など、息子にとって自分から主体的に動く事が苦手な事を
意識してさせていた5年生のスタートでした

 

「学校は頑張る所」
「同級生ができている事に、自分も出来るようになりたい」
息子自身そういう気持ちが育っています

 

特性として、できない部分や苦手な部分もあるけれど
本人が自分の得意不得意を理解していて
自分が自身のある事は行動できるようになったり
努力する力もつきました

 

息子が小学校へ入学した時には、
どんな風に子供が成長するのか未来を予想することが全くできなくて

親も不安でいっぱいだったけれど、
“10歳の壁” と言われる年齢を過ぎ、息子の様子を見ていると

 

〇 息子の性格もしっかり決定づけられた一人の人間となっているから
変えて欲しい所があっても変わりはしない

〇 得意分野は伸ばせばいいけれど、苦手な部分はいつまでたっても時間がかかる
本人が自分の得て不得手を理解している

〇 普段の日常生活は困る事はなくなった

〇これからの義務教育時代は、本人が自立した大人になるための学習が必要なのであって
言葉を覚えるとか、座らせるとか、感覚統合とか、そういったいわゆる
【療育】を続ける年齢ではなくなった

〇本人の意思を尊重して自分で考えさせる年齢

〇親が子供に依存しないこと

……と、強く思います

では、具体的になぜ 「療育卒業」 と思うのか

息子の成長過程をざっくり振り返りながら
親の気持ちや考え方の移り変わりと
今後の障害のある子供の成長に親が求めるものは何かをまとめました

我が家の場合を記事にしていますが
私の周りにいる特性を持つ子育てママも
同じような悩みの経過を経ています

今、就学前のお子様を子育てしている方へ
子供の心の成長目安として、参考になるはずです

 2歳の頃=自閉症診断=

我が子の子育てに違和感を感じ、

・自分が子育てに向いていないんじゃないか
・自分の子供苦手な性格だから、子供をうまく育てられていないんじゃないか
・他のママ達は、笑顔で楽しく子育てをしているけれど、みんな本当は苦労していることが
“当たり前”で、私はその当たり前な子育てを拒否してるんじゃないか
・何かヘン。と思ってるけど、何が変なのか説明できない
・とにかく、毎日の生活が苦痛
・子供が何を考えているのか全く分からない
・ほぼ年子の子供2人を育てることを甘く考えていた

……

そんなイライラした毎日を送っていた息子の幼少期でした

不安な初めての子育てをしていましたが、自閉症診断が出たことで

だからこの子は育てにくかったんだ

という納得が一番に頭に浮かんだ事でした

 

その後

ちょっと待って…言葉の通じない息子に
何をどうやって教えて育てたらいいの?

という疑問と日々の不安

 

そもそも、自閉症とは何なのか?をネットで検索するのはもちろん
《障がい》と診断され、障がい者が大人になった姿を漠然と想像しました

 

私は新入社員の頃、病院施設や福祉施設の一部の部署で事務員をしていて
生活介護施設の部署にも仕事で関わるようになり、
障がいを持つ大人が仕事という作業をしている現場に触れる事がありました

そのことを思い出したんです

「自分の息子は大人になったときに、そういった場所で働くようになるんだ…

そもそも、そこで働けるように育つのかな…

でも、そういう施設の給料って…内職並みよね…」

 

まだ2歳の息子の将来への不安が頭によぎりました

 

 就学するまでの親の気持ちと

息子の診断後、療育施設はすぐに見つかり、週5日通う事になりました

発達障がい専門のスタッフに子供をお任せできる安心と
とにかく、子供と過ごす日々の生活時間を “こなしている” 毎日だった私にとって
息子を誰かに預けられる環境は、精神的ストレスから解放されました

療育園へ通うから、子供の状態がすぐに良くなるわけではなく、
療育園から帰った午後の時間帯をどのように過ごすのか?には、やはり苦労しました

子供の障害が治る物ではない事は分かっていたけれど、
生活が早く楽になって欲しかった事や

私の性格が、子供が自分の事を自分でいち早く出来るようになって欲しい気持ちが
人一倍強くあったので、日々の生活に追われる療育元年が過ぎて行きました

 

息子の年齢が幼稚園入園の年齢が近づき、私は地域で子供を育てたいと思っていたので
息子は療育園を卒園し、幼稚園入園しました

いわゆる、定型発達の子供たちの通う幼稚園のなかで、息子はどんな立ち位置になるのか?
私はどのようにふるまえばいいのか不安でガチガチの状態で通っていました

 

幼稚園の子供たちの成長発達に触れて、我が子の成長との差を目の当たりにして
ショックを受ける事も多い幼稚園生活だったけれど
発達に追いつく事は無理でも、これ以上差が開いて欲しくない気持ちが強くて
幼稚園後の療育通いに熱心に通わせていました

小学校入学へ向けて、
せめて小学生1年の間だけでも、同級生と通常級へ進級できないか

その気持ち一心で、息子を療育漬けにしていました

 

 小学校への進路決定

小学校入学へ向けた就学相談の時期になり
我が子の特性を考え、毎日通う学校生活の事を考えると

『同級生と同じ進路へ進めたい』

という考え方をやめなければいけない時期がやってきました

 

毎日学校に通うのは私じゃない。
毎日学校で時間を過ごすのは息子だから

息子がしんどい思いをして学校生活を過ごしてほしくない

そう、考え方を変えて、支援学級へ入学することに決めました

 

 小学校1・2年生

地域の小学校支援学級へ入学

私は息子の進級について “よそはよそ、うちはうち”
そう考えるように自分に言い聞かせていました

同級生のママ達が、毎日学校からもらってくるプリントや宿題内容の話に盛り上がっている時に
私は話題に入れません

それも、寂しいな…と思いながらも
“うちはうち”だから

と、言い聞かせていました
言い聞かせないといけない時点で、まだ通常学級の子供たちが羨ましい気持ちが残っていたということ

授業参観が、一番精神的にダメージを受ける行事だったな~…
息子の在籍しない通常学級の授業を見に行って、普通の子供たちはどんな授業を受けているのか
その様子を見ては、自分の子供がそのクラスにいないことを、ぐっと胸に

「これは私が決めた道。間違っていない」

そう思い込ませていました

 

生活面の様子は
・身辺自立は完了
・外へ遊びに行くときは親が必ずついて行く
・登校時のみ、付き添い(1年生の後半まで)
・宿題を一緒にする(一人ではできない)
・自宅では、声掛けをして、行動を促す
・時間に間に合うように行動させるために、30分は余裕をもって声掛けをする

そんな生活。

放課後療育は、学校に慣れるために
幼稚園時代と同じ施設に 週4回 通う

環境が変わらない療育施設に、息子は疲れることなく通う事ができました

 小学校3年生

息子も、私自身も 支援学級生であることが
馴染んできた頃です

支援学級だからと言って、人生が決定されるものなんて何もない
人生長いのだから、どんな道だって歩める

そう、考えられるようになっり、私自身、完全に障がい受容できたと思えた時です

これまでは、受容してきたつもりであっても、どこか同級生と比べたり
よその子供が羨ましいと思っていたから…

 

生活面は
・短い時間留守番ができる
・近所の公園なら一人で遊びに出られる
・声掛けをして行動を促す場合と、本人が時計を確認して行動する時、どちらもある
・宿題は内容により、付き添う

放課後療育先を新たな施設に通うようになり、
週3回通わせることにしました

 小学校4年生

3年の後半からプチ反抗期が絶賛続いていました

とにかく、親の言う事が気に食わない

とはいえ、自分の思いを伝えられないし、思うようにいかない事も多い

そんな息子の状態でした

私も必要以上に息子に言いたくはないけれど、言わなければ自分で行動できないし
自分で時間管理できるわけでもないし…
で、声掛けをすると息子は気に食わないという悪循環

お互いにイライラすることも多く、放っておけばいいのか
しっかり関わってあげればいいのか分からなくなった年齢です

10歳の壁 という年齢ですね

発達の遅い息子にも、反抗期と言うものが来るんだ~

と、驚きもありました

 

生活面
・長時間の留守番ができる(長時間に買い物へ付き合う事が苦痛)
・時間を見て行動する(守らない時もある)
・する、しない。など、自分の意思で決める事が増える
・どんなに嫌だと思っても、学校は通うもの。と理解して行く。

 5年生

大好きなゲームを通して、同級生の友達ができたことがきっかけで
ゲームを通したコミュニケーション力 が伸びました

遊んでいる様子を見ると、いたってフツーの男の子の姿

自分の好きな事なら、ユーチューブで情報を仕入れてゲームを攻略したり
アニメや映画を見るようになり、親も一緒に楽しめる事が増えました

たった一人で楽しむ事が中心だった息子の遊びが、
他人とも楽しく遊びを共有することが出来るようになってきました

息子の好きな世界に偏りはあるけれど、学校や世界を見れば、
同じ趣味の人は沢山いるので
ネットを使うようになれば、寂しい人生にはならないと
親が思えるようになる

 

息子自身、学校の出来事を週に1度程度は話してくれるようになりました
低学年の時は、学校の出来事を話してくれることは1か月に2,3回程度だったので
ずいぶん進歩!!しました

「算数と体育は得意。漢字は苦手。音楽は嫌い。」
と、自分が何が得意か、苦手かを理解している

苦手な課題でも学校で与えられた課題はやる

得意な事(体育やゲーム)には人に負けたくない気持ちがあるから頑張る

など、逃げ出さず努力する力がついています

 

日常生活の中で、カンシャクを起こすこともなく、パニックになることもなくなった

予定の変更にうろたえる事もなく、前もってスケジュールがなくても気にならなくなった

コミュニケーションに偏りはあるけれど、話さないからと言って問題が起こる事もない

歩いて近所へ買い物へ行く能力はある(めんどくさくて行かない)

自転車で駅まで通える力がある

練習すれば、決まった場所へ一人で電車で通える(道順を覚えるのは得意)

学習面の習得は課題があるものの、息子が大人になる頃には
最低限の読み書き計算ができるように成長すると親が思える

この生活レベルの中で、
いわゆる 【療育】は、もう息子には当てはまらないよね
と、親が思うようになりました

じゃあ、息子にとって放課後デイサービスへ通う理由は何かと言うと

居場所 です

 

居場所って、わざわざいるの?

私は いる。 と考えています

私の身近な発達障害のある子育てをするお母さん達も、いる。といいます

 

学校の中では息子はどうしても “支援学級の子” です

息子自身も、同級生との日常の会話には入りません
話の高度さや内容の難しさに違和感を感じています

 

自宅は、リラックスできる場所ではあるけれど、
お母さんが嫌になったり、家族がけむたくなる年齢(=思春期)が来た時に
親以外の話ができる大人との繋がりが息子自身にあれば
心の安定になるのでは?と、思うのです

 

普通の子供であれば、自分の力で
自分の気持ちのはけ口となる友人を見つけて発散させるでしょう

でも、自閉症の息子には
自分の気持ちをうまく表現することはできないし

精神面がグッと発達する友人と、
話がかみ合わなくなることは目に見えています

 

子供の年齢があがると、親が福祉に求めることは
“子供をもっと伸ばしたい”
という気持ちより

“学校でもなく、自宅でもなく
子供が心地よく居られて他人と過ごすことができる行き場所。

子供がココロから気楽に過ごせる場所。”

を子供に与えたいと願うんです

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