子供がやりたいことをチャレンジさせる親の勇気

《リョウコの子育て観》

子供がやりたいことをチャレンジさせる親の勇気

 

自分の子供が義務教育を受けるようになり、私は教育内容に疑問を持つようになりました

さらに、長男が来年中学校入学を控える中で、息子にはどんな学習を受けさせることがより充実した学校生活を送ることができるんだろう?

と、考えるようになりました

 

「学校教育に疑問を持つって何が????」というお母さんたちの表情が目に浮かびます

 

私が学校教育に疑問を持つきっかけとなった理由は

息子が小学校進級するときに “支援学級・支援学校・通常学級”と進路を選ばないといけなかった苦しい経験にあります

そもそも、なぜ進路を選択することがこんなにつらく苦しいものなのか…

それは障害のある自分の子供が同級生と同じ教室で過ごす選択は不可能という前提で進路を考えないといけないからです

 

子供に障害があっても、“通常学級”を選択することはできます

ただしその場合は支援の先生が付くわけではないので、本児が独自で努力する又は親も学校へ付き添います

 

このことから、“学校” の基本的な考え方は“普通の知能や能力を持った人が通う場所として作られたものである”ということに疑問を持つようになったんです

 

このブログでは、障害のある子供の子育てだけではなく、どんな子育てにおいても、親が「なぜ子供を学校に通わせるのか」「これからの未来に向けた教育はどのようなものがよいのか」と考えある気づきになるといいな…という想いと私の子育て観についてまとめています

日本の学校教育はオワコンである

そもそも、学校教育の始まりは、イギリスで起こった産業革命時代に遡る

 

  1. 当時世界各国の民間人のほとんどの人の生活は農業社会だった
  2. 朝日が昇れば起きて、畑を耕して、家族で食物を作っていた
  3. 当時民間人の子供たちの生活は、家の仕事をし、残った時間で寺子屋へ行って読み書きを学んだり、本を読んだり、家族から勉強を教わっていた

 

基本的に教育は、“家庭や生活で必要な知識を寺子屋で学ぶ“ または、“頭の良い人だけは大学で学んだりお金持ちは家庭教師を雇って勉強をする” という選択だったんだって

そんな中、産業革命がおこったことにより、工場で働く人材が必要と時代は移り変わっていきました

 

人々が工場で働くには

・支持を正しく聞く(全員同じねじを指定された個所にしめる)

・時間通りに行動する(出勤時間を守る・休憩時間を守る・勤務時間を守る)

・上司の指示を逆らわずに聞く(個人で勝手な判断をしない)

 

これらができないといけないのだが、農業生活をしていた人々にとって工場で働くということは、生活スタイルがまるで変ってしまい

・上司の指示を聞けない

・支持を正しく支持を理解できない

・時間を守らない

…などすぐに順応することができなかったのです

 

そこで、国を挙げて国民に義務教育をかせることにしました
義務教育で育てる能力は、読み書き計算の教育はもちろんだが

・集団生活

・時間を守ること

・先生の話を静かに正しく聞くこと

・支持を正しく聞いて行動できること

といった工場で働くために人材育成をするための教育施設でもあったのです

工業社会では、真面目で協調性があれば仕事にありつけて働ける社会なので、真面目に学校教育を受けることはとても有効的でした

 

お気づきでしょうか?

今の日本の学校教育も、工業社会に適した教育内容がなされていることに

そして、工業社会モデルに特化しが学校教育について警鐘を鳴らしている社会学者・経営者・評論家…様々著名人は多くいます

 

日本に学校教育が普及したのは明治維新により、開国することで西洋の文化を取り入れようと必死だった時代です

明治に作られた学校教育の仕組みが、実は今になってもさほど変わらず同じ教育方針でなされているから、今の学校教育が時代に合わなくなっているのは当たり前なんですね

 

今の時代は、物が売れないじゃないですか

テレビの性能が4Kだの8Kだのグレードアップしているけれど、普通に視聴するにはそんな高価なものでなくても全然かまわないし、私が子供の頃は、テレビが家に2,3台ありました

友達の家にも2,3台ありました

今あなたの家にテレビは何台ありますか?

 

テレビ・エアコン・洗濯機・掃除機・食洗器・電子レンジ・DVDデッキ・車・・・生活にあると便利なものはほとんどの家庭にいきわたり、安く手に入るようになりましたね

 

会社の駒となって、言われたとおりに真面目に仕事をしていれば一生生活に困らない・・・という工業社会ではなくなったんです

現代社会は物への価値ではなく、自分のスキルを上げて自己評価を得たり、社会的貢献をして評価されることに価値を感じたり、行政の手が行き届かない細やかなことへの社会問題に対してどうするのか?といったところへ需要があるように感じます

だからこそ、会社にやとわれて働くときに、 “自分の能力を会社や社会にどう生かすことができるのか” と考える人が増えているのではないでしょうか

 

じゃあ、子供にどんな教育を与えたらいいの

私はこれらのことを知った時に愕然としました

ちょっとまてと…

私はまだ子供3人を義務教育受けさせないといけない立場の親なんだけど、学校は意味がないのか?どうすればいいのか?って…

 

私は、

自閉症スペクトラムを持つ子供

定型発達の子供

発達グレーゾーンの子供

3人を育てています

 

その子育てで、自分の子供が学校へ通うことで得られるものの価値や、基礎学力が生活するうえで大事なことは理解しています

学校では様々な価値観を持つ人間関係を学ぶことができるし、規則正しい生活習慣を身につけることができる

親は子供に基礎学習を教えるなんてめんどくさくて根気のいることなんて到底やりたくないし、親が仕事に行っている間、安全・健全に子供を預けられる場としても学校はありがたい存在です

 

義務教育のありがたみと、人との接触経験、家庭では体験できない経験を積むというメリットを受け止めながらも、もし子供自身が学校へ行くことが苦痛になったら通わなくてもいいと思っています

ほとんどの親は、子供が学校へ通えないことに不安を覚えますよね

私が不安にならない理由は、学校は受験に向けた学習中心の評価が最重要な場所だから、受験になんの価値も見出していない私にとってはどうでも良いことなんです

 

そもそも、知的障害のある息子を育てていると、“1年生の時に1年生で学ぶ授業内容ができなくてもいいじゃない。一生は長いんだから、例えば3年生の時に1年生の学習がクリアできたのならそれでいいじゃない” という価値判断が私にはあります

 

これが、受験を目的にしていたら、学年の授業についていけないわが子の姿を見ると、不安ですよね…

だから、多くの親は必死に高いお金を払って塾に通わせるんですよね

学力レベルの高い高校・大学へ進学希望の場合は小学3年生頃から塾に通わないといけないよと、塾の先生から話があるそうです(友人が塾の見学に行った時の話)

義務教育で勉強を学んでいるはずなのに、塾ありきの勉強って何なんだ?公共教育は何のためにあるの?とその時は思いましたね…

 

子供ひとりひとり、得意な教科と不得意な教科は違うし、学び吸収するペースだって違うし、先生との相性やクラスの相性だってあるんだから、“授業内容に遅れてはいけない”という暗黙のルールなんてくそくらえ!

って思っているんです

で、親はどうしたらいいのかなぁ…って常々考えながら子育てをしているんですけれどね、

私が強い軸を持っていることは、学習成績が子供の価値を決めつけるものではないという意識です

 

与えられた課題をこなすだけの学習や、テストの点数をとるだけの学習より、自分で学びたいものを自由に学び追求することこそが本当の学びであることが許される時代にはやく代わって欲しいと願います

 

例えば、貨物列車が好きだったら、徹底的に貨物列車について調べさせたらいいと思うんです

スポーツが好きだったら、若いときにしか最高のプレーはできないのだから徹底的にスポーツすればいいと思うんです

私は漫画が大好きで、読むのも絵を描くのも大好きだったから、授業中も落書きしたり漫画のことを考えて上の空ののことが多かった子供時代でした

あの頃は「早く家に帰って漫画を読みたい・描きたい」という毎日でした

 

ある一定ジャンルのスペシャリストになればいいんじゃないのかな?と思っています
好きなことや得意なことだったら、それを追求する中で、自分に足りないものを発見して自分で追及するものです

誰に言われるでもなく、自分で学びます
専門家・研究者・〇〇学者ってそんなんじゃないですか

 

だから、子供が「やりたい」と思っていることを「それはやめたほうがいい」と引き止めずに、子供にチャレンジさせる勇気を持つことが親の役目だと思い、子育て真っ最中のリョウコママです

 

じゃあ、またね

 

 

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