サービスを提供することで、誰のために役立ちたい?

サービスを提供することで、誰のために役立ちたい?

お教室業1年目は

とにかくお客様に来て欲しい気もちが強い時期です

 

でも、誰でもいいからお客様に来て欲しい

では、誰が行けばいいのか分からないんです

 

あなたのお教室では

誰の

どんな悩みに寄り添う事ができる?

と、具体的に説明できますか?

 

そこを明確に決めておくと、対象となるお客様へ的確に情報発信できますし

該当したお客様に来ていただいて満足していただけます

 

自分の教室へ来て頂きたい お客様像 を決めておくことは

個人で運営する上で最も重要な事です

誰でも来てください!は大手企業のなせる業

大手企業では、施設も人員もいますから老若男女幅広く対応できるわけです

UNIQLOや自動車メーカー、塾など、どの世代の商品をも置いていていますよね

 

私たち個人の教室は、“誰でも” では幅が広すぎて手に負えなくなります

 

例えば、個人でエステサロンを開いていたとしましょう

「30代の女性向け」と絞ったように思えても

  • 独身OLが求めているもの:仕事疲れによる肌荒れを解消したい。仕事の愚痴を聞いて欲しい。
  • 彼氏が欲しい女性が求めているもの:もて肌をゲットして美しくなりたい。恋話のできるエスティシャンと話をしたい
  • 家庭のある主婦が求めているもの:自分自身へのリッチなご褒美・若いママでいたい。子育て情報の話をしたい。
  • ワーキングママが求めているもの:自分に手間暇をかけていられないから効率よくプロに任せたい。たった一人で静かにゆったり、エステ時間を過ごしたい。

というように、全然違いますよね

 

“30代” といっても

30歳と39歳では求めるものもちがいます

 

 

具体的な自分のお教室のお客様像を決める理由

“お客様像”を決めておくことで

来室したお客様が「何だか違う」という違和感を感じてしまう事を避けられますし

こちら側にとっても、「話が対応しづらい」と言うミスマッチがなくなります

 

これはお互いにとって

より良い時間を過ごすために大切な事です

一人経営のお教室ですから、お客様のミスマッチによって

お互いになんだか気を使うわ…

なんだか緊張するわ…

では、長く来室して頂く事が難しくなります

 

自分に置き換えて考えてみるとわかる

例えば、自分の子供に音楽を習わせたいと思った時に

  1. ヤマハのように集団で演奏をするところで習わせたい
  2. 個人レッスンで習わせい

 

習うレベルは

  1. 音楽で食べて行けるように、プロへ向けたレッスンをうけたい
  2. 音楽を楽しみたい

 

教わる講師や指導方法は

  1. 厳しい人がいい
  2. 寄り添って優しく指導してくれる人がいい
  3. コンクール実績の多い講師がいい
  4. 子供の気持ちをよく理解してくれる講師がいい

 

など、自分が子供にピアノを習わせたいと考えただけでも

どこで、だれに、どんなところで、どのように?

って考えますよね

私たちお教室をする側はその逆で

「うちではこういうお客様を対象にこのようなサービスを提供しています」

と、具体的に提示した方がお客様は選びやすくなります

 

対象とならないお客様は来ない状態です

 

お客様を選ぶ事はいけない事じゃない

「私がお客様を選ぶ立場にあるの?(゚д゚)!」

それは、なにも偉そうなことではなくて、どんな会社もしていることです

 

パソコン教室だって

  • パソコン初心者のクラス
  • 資格取得クラス
  • プログラミングクラス
  • シニアクラス
  • 小学生クラス

って、分けていますよね

 

英会話教室だって

  • 初心者向け
  • ちょっと海外旅行用の英会話レベル
  • 中高校生向け
  • ビジネスクラス
  • 留学クラス

と、分かれているわけです

 

私たち個人のお教室は “クラス分けされた中の一つ” と思えばいいんです

 

世の中にあるエステサロンの中の

「子育てママが、30代の肌でいられるためのエステサロン」

のような感じで(*^-^*)

 

自分のサービスの価値を発信しやすくなる

お客様像を明確にしているからこそ

対象となるお客様へピンポイントに、サービスの価値を情報発信することができます

 

「子育てママが、30代の肌でいられるためのエステサロン」であれば

毎日の忙しい子育てで、自分のお肌のお手入れに時間をかけられないですよね

とか

私が愛用しているエイジングケアの美容液の使用感はこんな感じ

とか

寝不足の時にすると良いお手入れ方法

など、対象となるお客様をイメージして、

そのお客様が求めている悩みや困っていることへの対処法を情報発信することで

「このサロンへ行けば自分の悩みが解決できる」

「これだけ美肌知識のある人に、相談にのってもらいたい」

って、お客様は思うんです

 

こうして、多くの価値をブログで提供することができます

 

【誰の】

【どんな悩みに寄り添う事ができるのか】

 

あなたの 【お客様像】 これを考えてみてください

 


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~ アトリエいろかさね主宰 リョウコのプロフィール ~

主宰者 : 片山良子 1978年生まれ

長男:小学5年生・支援学級在籍(自閉症スペクトラム)
長女:小学3年生
次男:4歳・保育所(グレーゾーン)

3児の子育てと教室運営を両立しながら
自宅で出来る仕事を始めたアラフォーお母さんです

◇ 京都精華大学美術学部デザイン学科マンガ専攻 2001年卒

◇ 大学4年生時“京都アートスクール”にてアルバイトを1年間経験する

◇ 大学生から社会人時代に 個展・グループイラスト展を3度開催

◇ 大学生から社会人時代にマンガを投稿した作品 約20作

◇ 出版社へ持ち込み経験 『集英社』『講談社』『小学館』『白泉社』『角川書店』

◇ 2007年 地域施設で1年間小学生対象にアート教室のボランティア活動をする

◇ 2015年 ポーセラーツインストラクター資格取得

 

~ マンガ大好きマンガ漬けだった良子のお話 ~

【小学生時代】

5歳くらいの頃から マンガや アニメが大好きでした

古い記憶にあるアニメのタイトルは
「ララベル」「ミンキーモモ」「ときめきトゥナイト」

小学校時代の休み時間には絵を描く事が多い女の子
小学生時代は、毎日必ず夕方やゴールデンタイムにはアニメが放送されていて、ほぼすべて見ていました

一番最初に大好きになったマンガは 『ときめきトゥナイト』
その影響でマンガ雑誌 『リボン』を愛読

小学2年生の頃に、『風の谷のナウシカ』が公開され
その映画を見て衝撃を受けました

当時の私には内容が難しい部分が沢山あったけれど
ナウシカの世界観やキャラクターの魅力に魅せられて
マンガが更に好きスイッチが入りました

カギっ子だった私は
お小遣いを貯めて、漫画本を買って読んだり
一人で絵を描いて過ごしたり

夏休みの午前中に放送されていた「夏休みこども映画大会」
があったことで、暇な時間を過ごすことができていました

当時は、家庭にビデオデッキがまだ普及する前。

夕方にもアニメを放送していることが多く
習い事を週1回しかしていなかった私にとって
親がいない放課後時間や学校長期休暇中は
テレビやマンガ本を通して
マンガの道へはまっていく小学生時代を過ごしました

小学生時代に、すごく好きで読んでいたマンガの本は
「らんま1/2」
「ときめきトゥナイト」
「ハンサムな彼女」
「姫ちゃんのリボン」
「ねこねこファンタジー」

当時のリボンに掲載されていたマンガが中心です

 

小学6年生の頃に

“漫画家さんみたいに、絵が上手になりたい
どうやったら様々なイラストが描けるんだろう?”

キャラクターの名前を考えてみたり、設定を考えることを始めました

“マンガって、どうやって描くのかな?”

そう疑問を持ちながら、絵を落書きで済まさずに
身近な色鉛筆で完成させたイラストを描く事を始めました

また、「風の谷のナウシカ」の原作漫画がある事を知り
読むと、世界観の深さと絵の美しさに魅了されて
私の中の “か弱い女の子の恋愛世界少女漫画時代” が終わり
“強く戦う、立ち向かう女性の世界感少女漫画” が好きになっていきました

【 中学生時代 】

中学校時代は、バレーボール部に所属していました

「美術部ちゃうんかい」と、言われるのですが、
美術部では油彩やコンテ画など、マンガの絵を描けなかったので論外でした

勉強に興味がなく、授業中は
「家に帰ったらどんなイラストを描こうかな~」
というイメージを膨らませている 妄想女子 でした

自宅に帰宅すると直ぐに机に向かいイラストを描く
生活を送っていました

だから、学校の成績は中の下(=_=)

    

夜遅い時間まで私の部屋の明かりがついていることを塾帰りの友人が気が付き
「勉強しているの?」と聞かれ
「…マンガ読んでる(^-^;」と、答えていました

絵が好きだったので、描いた絵を友達に見せていました

すると、それを快く思わなかった同級生に

“絵が上手い事を自慢している”と
陰口を言われ、プチいじめ を受けたことをきっかけに
自分がマンガを描いていることや得意な事を話すことをやめました

 

でも、 将来は絶対漫画家になる!!

と熱い気持ちがあったので、学校では自分が絵を描いていることをを隠して
学校以外の時間はマンガ一色の学生生活を送っていました

 

中学1年生の頃に 「美少女戦士セーラームーン」が始まり
めっちゃ見ていました
小学生対象のマンガだったので、同級生に話すと陰口を言われることを恐れて
「セーラームーン大好き」とは話していません

漫画家:CLAMP作品と出会い、私の求めていた世界観に刺さり
大ファンに(*^-^*) 絵の影響を受けまくりました
CLAMP作品の追っかけも始まりました

 

 

【 高校時代 】

高校受験も終わり、学校以外の時間は再びマンガ漬けの学生でした

部活は ソフトテニス部。

高校には「文芸部」という、マンガや小説の部活があったのですが
中学時代に自分がマンガを好きであることを隠してきたことや
またいじめられたら… という気持ちと
マンガは家でも描けるから、家でできない事をしたいと思っていて
運動部に入っていました
(今でも時々楽しむスポーツです)

 

中学2年生の頃に
「マンガの描き方」という基礎の本と出会い、
本を見ながら独自でマンガ技法を練習を始めていました

本を見ながら、独自でマンガ技法を練習しながら
高校生の頃にはマンガの画材を集めたくて
お小遣を駆使して
つけペンやスクリーントーン、カラーインクを集めていました
画材って効果なんですよね(^-^;

カラーインク1色500円
スクリーントーン1枚300円

1色では絵が描けないのでせめて5色は集めたいけど…
スクリーントーンの種類もバリエーションが欲しいし…
でも、新刊コミックが今月は5冊も販売されるし…

お小遣いを、自分のお洒落やおやつに使う事はほとんどなくて
マンガ関連や、アニメグッズにつぎ込んでいました

 

ストーリーを考えることも始めたけれど、
1作を「終わり」につなげるまでの難しさを知りました

イラストを仕上げる事と、マンガを1作描き上げる事は
やるべき絵の技術内容が全く違います

ただ、可愛いキャラクターを描けばいいわけじゃない

学園物のストーリーを描こうとしても
「学校の校舎ってどういう形をしていたっけ?」
「階段って描くの難しな」
「何気ない街中の風景を描くって大変!」

漫画家さんって、絵が万能ですごい!
話を考えるって、すごい!
人にインパクトを与えるコマ割りって難しい!!

そんな、描き手目線でマンガの本を読むように変わり
ストーリーのあるマンガを描き始め
出版社へ作品を投稿するようになりました

↑始めて投稿した漫画の表紙
角川書店 『ASUKA』に投稿しました
評価はBクラス。

 

絵が上手くなりたい気持ちから
京都精華大学 美術学部デザイン学科(当時のマンガ専攻)へ大学進学先を決めました

私はもともと、“絵はどこでも描けるから
大学は管理栄養士資格を取得できるところへ進学しよう”
と高校時代を過ごしていたのだけれど

「でも、本当にしたい事って、それなの?ちがうよね」

と言う気持ちが強くなり、高校3年生から美術大学へ向けた勉強を始めました

 

小さいころからず~~~っと独自でマンガイラストを描いてきたけれど、
本格的に絵を習い始めたのは高校3年生

4年生の美大受験を目指すには遅すぎるスタートでした

デッサンの予備校へ行くと、みんなは中学生から美術部だったとか、高校1年生の時からデッサンを習っている人ばかり
私のように、マンガマンガしていない人…

デッサンは全然面白くなかったけれど、大学へ行くために努力するしかない

デッサンばかりで、マンガイラストが描く時間がなくて辛い…
そんな受験生でした

入試までたった半年しかない間に、どれだけ技術を伸ばすことができるのか…
スタートが遅すぎた私は

第一志望である京都精華大学の推薦入試には
《色彩構成》の課題と《意気込みの作文》のみ
デッサンが課題になかったので、推薦入試にかけました

今まで、イラストを描き続けてきて色を使う事が好きだったことが実を結んだのか
推薦入試で無事、合格!

私も両親も 奇跡!! と泣いて喜びました

 

【 美術大学時代 】

大学へ入学してからが苦労しました

同級生は、美大へ向けてデッサンを何年も描いてきた基礎ができている人ばかり

私は、その基礎経験が足りていない状態で
大学では、劣等生でした(>_<)

小さいころから学校では “絵の上手い人” だった私が
美術大学では “フツーレベルの人” になってしまったんです

衝撃と悔しさと痛烈な劣等感…

 

劣等生ではあったけど、でも入学した物勝ちです

「這い上がるしかない!」

絵の上手い同級生の良い刺激を沢山受けながら大学では
恋愛そっちのけで絵を描きまくり
人物デッサンの基礎力を付けました

 

バイトでお金を貯めて東京の出版社へ持ち込みに行ける年齢になり
何度か足を運びました
これまでに投稿・持ち込みをしてきた出版社は
集英社・小学館・講談社・角川書店・白泉社……

私にとって 東京は旅行でも観光でもなく 東京=出版社 です

 

大学には、マンガ好きな人も多いし
マンガを投稿している人も他にいたし
マンガ好きな事を話しても“オタク”と言われないから隠さなくてもいいし
作画技術のマニアックな話や
画材の使い方のマニアックな話ができる友人が多くいました

自分の好きな事を追求できる大学生時代は
好きな作家さんの原画展やサイン会などのイベントへ行ったり
自衛隊に興味もあったので、大学生向けの体験ツアーなる物へ参加したり(*‘∀‘)

 

自分のやりたいことを思うままにしてきた
人生の中で幸せな大学4年間を過ごしました

 

ご縁があり
アートスクール予備校のアルバイトを1年間経験

思い返せばこの頃に、人に教える事をしていた私です

自分の所属している大学の専門科に入学したい受験生の担当をさせて頂いたので
生徒達の必死の思いを過去の受験生時代の自分に重ねて
生徒達に合格して欲しくて、真剣に絵のアドバイスをしました

 

【 社会人→出産→育児 】

大学卒業後は、契約社員として普通に事務員をしながら
自宅ではマンガを描いて投稿する生活を、相変わらず続けていました

自分の漫画以外にも漫画アシスタントを経験してみたり

イラストレーションのグループ展を3度開催しました

第一子を妊娠中の1年間は、地域施設で小学生に絵を教える教室があり
その先生のお手伝いをするボランティア活動をしていました

    

 

そんな社会人時代でしたが漫画家デビューすることは出来ず
結婚・出産のため、
自由に絵を描く生活から離れてしまいました

自分が絵を描かない日が来るなんて考えもしなかった事です

 

自分の子供を育てる中で
「マンガが好きな子供たちや
絵の好きな子供たちに絵を教える教室が出来たらいいのにな」
漠然とそう考えるようになっていました

 

第二子を出産し
子育てのしんどさやイライラがつのる日々が続きました

子供と一緒にお絵かきをしたり、
アンパンマンなどテレビで楽しめる生活を描いていたのに
なぜそれが出来ないのだろう…

 

なんだか変…
長男の発達に違和感を感じていた結果

自閉症スペクトラム であると
診断が出た事によって私の生活は更に一変しました

療育子育てに専念する生活に変わり
“今は自分の自由を捨てる時期だ”

と、自分に言い聞かせて療育子育てをしていましたが

不安で寂しい気持ちと
私が頑張らないで誰が何とかしてくれるの?

そんなプレッシャーで毎日を過ごしていました

 

 

【 アート教室を始めるに至るまで 】

“絵画教室で子供たちに絵を教えたい”

教室を始める前はそんな 私主体 の夢を持っていました

 

息子を通して療育先の子供たちと触れる貴重な経験を重ねる中で

“言葉で自分の気持ちを伝えることが難しい子でも
色や形で自分の気持ちを表現することで気持ちを伝えることが出来る!
絵は言葉がない人でも気持ちを伝えるツールになる!
困り感のある子供たちが自己表現できる場所を作れたらいいのに”

という気持ちが芽生えました

 

息子の障がいが分かってから
普通では出会う事の無かった人たちと出会い
沢山の方から支援を受け
これまで関わることのなかった未知の世界を知ることが出来ました

それは、自分をものすごく成長させてくれる
素晴らしい経験をすることができ
息子を授かって良かったと思えるようになりました

 

息子も小学生になり、子育てがスムーズに進みだした頃

『私に出来る事はないか? 私に出来る事で行動して生きたい』

そう考えるようになりました

 

絵画教室を通して、障がいのある人も、定型の人も
当たり前に同じ空間で、同じ趣味を共有し、お互いに尊重しあえる
そんなバリアのない空間を作りたい

そんな強い想いが大きくなり
自宅で 『アトリエいろかさね』を始めることに決めました

 

今は おうち教室 という小さな空間ですが
私にできることを一つ一つ積み重ねて
長男の子育てで沢山支援を受けて助けられた恩を
アトリエに来室する生徒様を通してお返ししていきたい
という想いで運営しています